『勝幡城』049〜066話



49〜54話

 五郎左は、意外坊に連れられ、勝幡へと行った。意外坊は、勝幡の城の食客になる、と言う。
 月巌入道と懇意だった意外坊は、息子の三郎信秀とは顔を合わせたことがなかった。後家のいぬい殿に取り入るために、津島に入ってからというもの尼寺へ通っていたようだ。いぬい殿は病のため、実家近くに庵をたてていた。息子(三郎信秀)と不仲なわけではなく、勝幡の湿気が病には良くないようだった。
 勝幡の城は、三つの川が交差した所に築かれた水城で、湿気が多く、蚊も多い。川賊にも遭い、川の氾濫もある。しかし、田畑が肥やされてもたらされる利の方が大きく、そこに目をつけたのが、織田信定だった。
 勝幡の城からの出迎えには、平手中務丞がやってきた。

 意外坊から、従者であると紹介された五郎左は戸惑う。従者となると、食べ物や住まい等城での生活に制限が生じる。
 その従者にしては木瓜紋の良い刀を持っていると平手から指摘された五郎左は、悪平太を討つために渡された質草の刀だったが、家に代代伝わる刀であるとはったりをきかせる。

   丁寧に城内に迎えいれられた意外坊と五郎左はついに信秀と対面する。


55話〜59話

 五郎左は信秀と再会した。気の利いた歌のやりとりで、信秀から話し相手に欲しいと言われる。
 意外坊は兵法者であるともとも紹介し、同朋衆にはどうか、と提案される。五郎左は同朋衆は嫌がり、平手は、代々の家臣にも配慮して五郎左をどう処遇したらいいか迷う。
 結局、陣借りの渡り武者と同じに処遇される。

 寝藁を受け取り、入った根小屋にいたのは、変わった名前の人ばかり。五郎左が鈴鹿で蟹井団々入道を討ち取った者と気付いた三宅無理之助は態度を改める。彼らは棟梁が欲しかったのだ。
 しかし中の一人、顎無しと呼ばれる男が、伊東五郎左衛門尉本人かどうかはわからないと、喧嘩を売ってくる。喧嘩を買った五郎左は、津島にいる兵法者と戦うはめになる。

 その兵法者は、棒を使うらしい。五郎左は弓と刀は得意とするが、棒はどちらかといえば苦手にしていた。が、今日この地に着いたばかりだから二日後に、と顎無しに約束する。
 無理之助らは顎無しに困らされることが多々あったようで、津島の兵法者を倒してもらえればうれしい、と言う。


60話〜66話

 五郎左は、戦う相手がどういう人物かを探るために、無理之助を供にして津島の町へ出た。
 津島には年寄衆・会所衆という自治組織があり、信秀の父・月巌入道信定とは津島の支配権をめぐって争っていた。が、大永4年の合戦後、信定は娘を町の最有力者大橋家に嫁がせて和睦としていた。
 しかし戦の遺恨を残す家は少なくなく、織田弾正忠家を快く思っていない。湊の税の権利を取り戻そうと暗躍する首謀者が服部平左衛門で、そこで食客となっている鬼瓦常陸之介が相手であるとわかる。

 二人は、津島の北町・雲居寺裏手の藪に潜んだ。
 寺を創建した服部宗純の子孫が、服部平左衛門だ。寺に隣接している平左衛門の家の庭に、鬼瓦はいた。

 しばらく眺めていた五郎左だが、見るものは見たと、足早に藪を去り、湊に出た。

 津島天王社近くの茶屋で、鬼瓦に関する情報を得た。
 鬼瓦は、高札で果たし合いを募っていた。何人もが挑んだが、全員やられてしまい、その死骸に対して鬼瓦は非情な対応をしていたため、悪い評判が立ち、それを雇う服部家の評判も落ちているようだ。
 五郎左は、果たし状を記し、茶屋の亭主に届けさせた。
 それから、果たし合いの場所となる広場を見回り、作戦を決めた。

 翌朝、早朝から見物人が集まってきていた。
 そして、鬼瓦も、旦那衆を連れてやってきた。
 五郎左は旦那衆に丁寧に詫びを伝えたを相図に、果たし合いが始まる。

 五郎左は作戦通り、程良い場所に鬼瓦を引っ張り出し、その足に縄をひっかけさせた。鬼瓦は足の動きを変えようとしたがもう遅い。
 五郎左は鬼瓦の額に刀を討ちこみ、縄を張る軍略をとった五郎左の勝ちとなった。

 服部の旦那衆は、死んだ鬼瓦に無慈悲なことを言い、また、用心棒にと五郎左を誘う。
 しかし、五郎左は断る。こっちが廃ればあっちをという気楽さは兵法者には持てない考え方で、織田弾正忠家は兵法者に気をつかってくれる、と大声で言って、広場を後にする。五郎左は、弾正忠家の武威があがれば自分たちへの待遇も良くなる、と思ったのだ。
 一方、冷や汗がやまず、果たし合いは恐ろしいものだ、と思う。



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