『豺狼の心』139〜157話



139〜152話

 信秀は銭の徴収に力を入れていった。
 意足は、今川の石高はそれほどでもないが贅沢できているのは、商人からの税の徴収による、と解説する。
 今川は、安倍川上流で砂金採取を行っているが、信秀の領地である木曽川・三宅川では採取できない。その代わりに津島と萱津という湊を持っているが、信秀には不足だった。
 意足は、熱田を手に入れれば信秀の力は守護・守護代家を抜く、と進言。
 すると信秀は、守護である斯波武衛家、大和守家に対して下剋上などというはやり言葉にのせられた行動をとる気はない、と怒る。

 信秀はお金で力をつけてはいるが軍勢を集められる家格をつけていない、力を伸ばすには守護家・守護代家の名で兵を集め、他国へ向かうしかない、という蓬子の見解に、意足は合点がいく。それと同時に、下剋上とは遠い信秀の実情にがっかりする。

 5月、田植えの準備が始まる頃、今年は旱魃かもしれないと人々が口にのせた。しかし、弾正忠家領内は潅漑施設が整っていたため、農民たちもそれほど焦ったりはしなかった。
 そんな1534年5月、信秀に嫡男が誕生した。
 意足は信秀から、赤児の師には早すぎるが自分の連歌の師になってくれ、と乞われる。
 連歌の神は天神様で、歌を捧げれば功徳が得られると言われていた。連歌師が戦陣に呼ばれ、和議交渉を行っていたのは、連歌が合戦の呪咀と関係していたからなのだ。
 信秀が、神頼みのような、普通の武将っぽいことを言うことに意外さを見、また、ほっとしたりもした。
 信秀は、蹴鞠で知り合った人たちと連歌会を催したいと言い残す。

 しかし連歌会は実現しなかった。
 旱魃の後、長雨となり、大雨は長良川の氾濫をもたらした。津島でも多くの商家が家財を流された。

 その頃、意外坊が京から戻ってきた。畿内も暴風雨にやられたと語る。
 年貢米の不足を補うために寺社領を横領したり、そこから奪い合いで合戦が生じたり・・・畿内も荒れることが予測できた。
 意外坊は、京から、弾正大忠という官職をもって帰ってきた。
 この程度の官位にお金を払ったことがもったいないと信秀はふてくされるが、意外坊は、ここから始まるのだ、と諭す。

 信秀は、河川氾濫による災害復興に自ら動いた。元々、水害が多い地域であり、修復には慣れている。上流から肥沃な土が流れ込むため、天の恵みとも受け止められていた。
 一段落してから、信秀は高札を立てた。


153〜157話

 三郎の任官祝いに、新たな増税は行わない・免税・災害で種籾を流された人には貸与する、人々からは徳政と言われる政策が行われた。
この政策は地域差が現れるもので、しばらくすると、近隣から土地を捨てて逃げてきた百姓たちが流れ込んできた。彼ら、走り百姓は、そのまま勝幡に居ついたため、近隣所領の領主たちは、信秀に走り百姓を送り返すよう、求めた。
信秀は、荒れた土地に走り百姓を置こうとしたのに、と残念がり、大和守家の所領百姓については送り返すことにした。
 しかし、交戦中で敵地からの走り百姓には土地を与えてかくまおうと考える。

 信秀は、萱津で連歌会を催した。信秀が現場に入るころ、意足や配下の同朋らが準備を終えていた。
 参加者である今川竹王丸、織田右近、織田右衛門尉、織田孫衛門、千秋左近(熱田の神人)、榊左京進(萱津の神人)、織田丹波守(大和守家の重臣)らが次々にやってきた。

 進行役は意外。意足はのぞきみて、大人たちの中で輝く十三歳の竹王丸の立ち居振る舞いに感心していた。
 その裏方では、竹王丸の守役・采女丞の愛妾の体調が良くないとの報せが入り、采女丞は一人で萱津を後にした。しかし采女丞は目的の熱田にも、那古野にも帰っていないという。

 連歌会は、信秀が満足いくとおり、終わった。



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