初の武田家めぐり/山梨 2003/09/27(土)


 長野と接する一部しか行っていなかった山梨県。武田家に関係するところをめぐることで山梨を知ろうツアー。

 長野インターから高速に乗り、山梨方向へ向かう。諏訪湖SAで休憩をとり、「甲府・山梨」ガイドブックを購入。天気が良く、諏訪湖の眺望はとても良し。八ヶ岳が見えてきたところで、八ヶ岳PAに入る。
 八ヶ岳は、その昔、富士山よりも高かった。でもそれにムカついた富士山が八ヶ岳を一発ガツンとやったことで山は八つになり、その時に吹っ飛んだ石で諏訪湖ができた、という言い伝えがある。八ヶ岳の形は不自然で、富士山にガツンとやられたのは本当かもしれない、と思ってしまう。
 このPAで、信玄公好みというほうとう(信玄の絵付)、桔梗屋信玄餅のマスコット、勘助だんご、を買う。
 山本勘助は、武田二十四将の一人。信玄の智恵袋として戦いに明け暮れた勘助は、甲府の団子を好んで食べたと言われている。勘助の愛した甲斐の風味を近代的製法で、素朴な郷土の味にになっているらしい。
 次の双葉SAでは信玄&キティちゃんのピンバッツを買う。

 甲府昭和インターで下り、向かうは武田神社。
 信虎、信玄、勝頼が住んでいたつつじが崎館跡に建てられた、信玄が祭神となっている神社。大正天皇から「祭っていいよ」と言われたらしく、そのせいか日の丸があげられている。そういえば、先日京都で行った「建勲神社」も、大正天皇によっていた気がする・・・。
 いたるところに武田菱! 洗脳されそうで、なかなか素敵。
 「燃ゆるかがり火 つつじが崎の
 空をゆさぶる勝どき太鼓
 二十四将の大盃に
 月も浮かべた月も浮べた武田菱」
 という歌と武田菱が記された大盃が、境内にある。
 月も浮かべた武田菱、、美しい。
 水琴窟に耳を傾け、武田家が日常的に使ったという井戸の水にふれ、ご朱印をいただいて、武田神社を後にする。
 武田神社目の前の土産物屋で、キティちゃん信玄や、信玄餅を買う。
 そこから少し行ったところに、魔縁塚という、信玄公の墓がある。全国に点在する「墓」だが、1766年、ここを掘り起こしたところ骨灰が発見されたらしく、それ以来墓の総本山とされている。

 甲府駅前に信玄像があるということで、駅前を通ってみる。
 ずんぐりむっくりな信玄公が・・・。通るだけなので、ササッと車を下り、サーッと写真をとり、次なる目的地、甲斐善光寺に向かった。

 甲斐善光寺。川中島の合戦の際、長野の善光寺の焼失を恐れた信玄が建立している。本家本元をよく知っているナカジとしては、神社によくあるような赤い建物に違和感が・・・。
 ここでも戒壇めぐりができるらしい。戒壇めぐりとは、ご本尊のある下、真っ暗な中をてさぐりで進み、腰の位置にある「鍵」をさわるとご利益がある、というもの。
 それを終えた男性二人が出てきたが、なんと、「鍵」を触れなかったという!
 鍵が近くなると「ガチャガチャ」という音がするから、わかるはずなんだけど!!! もしかして、男性二人の前に歩く人がいなく、音がなく、どこにあるのかがわからなかったのだろうかっ! そういえば、前後に誰もいない状態で戒壇めぐりをしたことはない・・・。

 次は恵林寺へ。
 14世紀、夢窓国師によって開かれ、その後、武田家の菩提寺となり、信玄の百回忌に建てられた墓がある。
 ぐるぐると、堂内を歩き、うすいす張りの床を歩き、信玄の墓でお参りし、武田家の後で甲斐を治めたという柳沢吉保夫妻の墓でお参りし、美しい庭園で写真を撮る。
 信長軍に焼き討ちされた際「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と遺した快川和尚の碑がある。

 境内にある「一休庵」で昼食。信玄が考案したというほうとう定食を食べる。
 実は、恵林寺の前にあるドライブイン「信玄館」に入りたい予定だった。が、眺めたところ、団体さんがいっぱいで、落ち着ける場所ではなさそうだったために、諦めていた。
 一休庵では外を眺めながら、外の空気に気持ち良さを感じながら、熱々のほうとうをいただいた。
 隣接する土産物屋で、信玄キティのマグカップを見つける。
 欲しい・・・。でも、これ会社で使ったら、「変な人」って思われるかな・・・。でもお家で使えるし、、、と迷った結果、今回は断念。どうせなら、信長様もしくは謙信公のマグカップが欲しいのだ! 謙信キティがあるということは、信長様バージョンにもそのうちに出会えるハズ。

 以降は父の希望で、久遠寺へ。
 恵林寺からは60キロくらい。ちょっとだけ高速に乗り、あとは富士川街道をひたすら南下する。
 日蓮上人が日蓮宗を開いたところ。
 一つの宗教を開くくらいだから、こういうところなのねーというくらい、高い、山の中。
 やたら広大な場所に並びたつ本堂やら真骨堂やら・・・。屋根と屋根の間に、身延山山頂へ行くロープウェイのロープが見え、体がすくむ。あんな高いところにあんな箱で行けるかぁー、と思う。山を登るのならいいけれど。

 帰りはひたすら富士川街道を北上し、一区間だけあいている中部縦断自動車道をとおり、中央道に入り、長野に戻る。

 翌日、謙信公にご挨拶に行く。
 古戦場で、前回来た時とは違うアングルで写真を撮る。

 長野駅前のデパートで「川中島納豆」を買う。
 長野駅で「川中島合戦笹ずし」という駅弁を見つけ、買う。
 笹ずしは、長野・飯山市で食べられている。笹の葉の上にご飯をのせ、その上に、煮たしいたけやそぼろ、山菜などをのせた一口寿司。飯山近辺を通った謙信に、村人が山菜ずしを笹にのせて提供したのだという。いつの間にか、新潟の名物になってしまっているけれど・・・まあ、あの辺りで食べられる、ということ。
 この謙信公に由来する食べ物を目の前にして、車内でにんまりするのはどうかと思い、自宅へ持ち帰る。
 帰宅して、今回買ったものなどをテーブルに出す。笹ずしと、信玄公の絵がついたほうとうとが一緒にならび、「節操ないじゃんっ!」と思う。

 武田家めぐりだったはずだが、最後は謙信でしめられた週末となった・・・。

fin


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