第4回関西オフ 【2006/09/16〜18】



9月16日


 高速で一路京都へ。タロさん、オウフさん、モーバさんと一緒。(お名前、若干アレンジしています。以下同様)
 途中、多賀SAで、信長様の史跡に触れる。浅井長政や信長様に攻められ、滅んだという寺。そういう史跡があると、あー関西に近づいているんだなぁーと思う。

 京都南インターにほど近い城南宮。ここでの装束体験が割とメイン行事。
 ナカジはうちき姿を予約していた。好きな衣裳を選べるということで、色重視でチョイスしようと思ったところ、織田木瓜が織られている着物を見つけてしまう。これしかない。色味的には全くナカジの好みではないのだけれど、いたしかたなし。
 貴族に変身されたタロさん、オウフさんと庭を散策。随所で写真をとっていただく。モーバさんはコスプレしなかったため、カメラマンとして3人分の撮影をやってくださった。本当は、彼の平安時代武将の装束が見てみたかったのだけれど(いや、その衣裳がラインナップにあったのかどうかはわからないが)。
 タロさんとオウフさんは、とてもはまっていて、衣裳の色合わせもきれいで、やっぱり平安時代も日本人だ、とアホなことを思ってしまった・・・。
 庭散策&撮影を終えて、併設の神社(というか、神社併設の施設だ)で参拝。一般観光客の好奇の視線を浴びる。それ自体は好きなナカジ。
 この神社は、鳥羽・伏見の戦いの開戦地。えー、鳥羽・伏見の戦いって何時代?というナカジは、江戸後半以降は全くダメなのだった。。。
 それから室内に戻り、関西組の方たち(ジュイチさん、サクラさん、ユフさん、ミクさん&カメさん<ミクさん&カメさんは双子さん>、キノコさん)と合流。既に庭での撮影を終えていらしたのだ。
 それぞれが、様々な設定で用意されている調度品の中で撮影。写真だけ見ると、もう、ザ・平安時代。カメラなんかない時代だけど。みなさんきれいで、かわいくて、色とりどりで、おまけに若いし(苦笑)、、、疲れてしまっていたこともあり、ナカジ、おばちゃんのようにその光景を眺めていた。
 「そろそろ閉めたいので終りにしてください・・・」と施設の方から言われるまで、堪能。キノコさんが施設の方とお知り合いで、だからこそ普通に予約するよりも存分に遊ばせていただけたわけで、感謝。
 着替えた後、関西組の方たちは電車で京都駅へ。
 関東組は、チェックインのためにホテルに行き、荷物を置いた後で京都駅へ。
 残念なことに、サクラさん、ユフさん、キノコさんとはここでお別れし、残った人たちで夜ご飯へ。
 「焼肉中華 大将軍」という焼肉屋へ入った。京都らしいものを、という案もあったのだけれど、このネームにとても意味があり(タロさんは"将軍様"なので)、皆で意気投合。油と水で胃を満たし、お開きに。ジュイチさん、ミクさん&カメさんとお別れ。ミクさん&カメさんとは明日も一緒に行動する予定。
 ナカジはホテルに戻らず、京都駅散策のために、一人行動に入った。

ミラージュのために一人行動!
京都駅や地下街の入り口を撮影し、あの近代的な、転がったらアウトッな階段を撮影し(ここもナカジがまだ読んでいない巻でバトルが繰り広げられていたハズ)、それから超有名なリーガロイヤルホテルに行こうと、した。
が、リーガロイヤルが思いの他遠いことがわかり、また、疲労濃かったこともあり、断念。いいですっ、近いうちに泊まりますからっ! 6階に!


 ホテルに戻る途中でコーヒーショップを見つけ、立ち寄り。ちょっと気を抜きたかったのだ。写真を整理したり、メモしたり・・・この時間が大事。

 ホテルに戻り、風呂に入り-----
 昼間、チェックインしたときに、びっくりした。
 どこかに下宿するかのような部屋で・・・。ドアを開けたら畳の部屋で、スリッパを脱ぐスペースすらない。下の階の人は廊下にスリッパを置いていたけれど、ナカジはそれは嫌だったので、入ってすぐの畳の上に脱いだ。
 トイレの窓はすりガラスではなく、だから向こうに立っているマンションやビルから見えそうで、こんなところでできるかーっ(笑)!と思ったが、ソレはソレ、環境適応能力はあるので、ビニールテープでゆかたを窓に貼り付けた。え、なんでビニテ持ってるかって?
 盗人がドアを開けたら目の前に人が寝ていて盗人ビックラ、というコミカルな状況を想像して、眠りについたのだった。


9月17日

 翌朝、ホテルにて、合宿のような雰囲気で朝食を食べ、奈良へ向かった。その道中、モーバさんの知識炸裂というか、、、聞いてみれば返ってくる、その知識保有率の高さ! ビックリ。

 予定より早く到着し、近鉄奈良駅近くのパーキングへ駐車。ただ待っていてももったいないから、と駅からほど近い興福寺を参拝。実に、中学の修学旅行以来。
 あのころ、阿修羅像を見て、いたく感動し、しばしたたずんだナカジ。そしてその頃は、ガラスの向こうではなかった。今、像はガラスの中にあり、あの頃の感動がよみがえるということは残念ながらなかった。それよりも、千手観音像!!! こちらに圧倒された。ま、ナカジの守り本尊のせいかもしれないが。よくよくお参りし、この像の絵葉書と、阿修羅像が飛び出るグリーティングカードをゲット。
 五重塔の前で、フジさんと一年ぶりの再会。相変わらずきれいかわいい方で、空色のワンピースがよくお似合いで、炎天下、映えていた。
 猿沢池を一周し、春日大社をお参りすることに。フジさんの荷物は車に置いた方が良いだろうということで、タロさんとお二人、パーキングに戻る。ナカジはオウフさん、モーバさんと先に参道を歩く。途中、鹿が放し飼い&群れている芝にモーバさんが走ってゆく。ナカジにはありえないことですぅー。神獣なんだけど、ナカジは生きた心地にしない奈良公園周辺・・・。

 参道の途中の荷(にない)茶屋前で、フジさんたちを待つことに。長い参道をこちらに向かってくるフジさんやタロさん、そして合流していたミクさん&カメさんと発見。早速、茶屋でお昼となる。
 万葉粥定食を食べ、ナカジはくず餅を買った。そのくず餅が、鹿の格好の餌食となり、ナカジは寄ってくる鹿から身を守るのが精一杯だった。さすが神獣、いつのまにか真左にいたときには超びっくりして、悲鳴をあげ、その悲鳴でみなさまを驚かせ、、、、ごめんなさい・・・。

 春日大社を参拝し、宝物殿での「かたな・よろい展」をみる。なかなか面白かった。

 それから東大寺を参道から歩き、参拝。その参道が、やたら鹿がいて、もーーーーーっ、ジャマですぅー。生きた心地がしなく、、、大仏様がいる手前の門からは人間しか入れないので、そうなるとノビノビナカジ。大仏を眺め、小さくなったネと思ってみる。
 春日大社も大仏様も、ミクさんはもう何回も来ているご様子で、こういう歴史的な場所が地元って、どういう気分なのかなーと。スキー場が地元、というのともまた違うでしょ。
 大仏殿から二月堂の方へ。階段をあがり、二月堂の舞台を見上げる。
 直江もここを通っただろうな、と。直江は三月堂から二月堂に進んだのだが。
 三月堂で仏像と対峙した直江は、過去に犯した罪について自問自答する。
 自分が景虎であると意識しきれていない高耶に対して、自分を拒まないでほしいと切に想う直江。痛いぃ・・・。勝てない、圧倒的な存在への想いって、それが魅せられるってことなんでしょう。
 直江は二月堂の舞台から奈良市を一望し、景虎(高耶)を愛しいと想う気持ちを再認識するのだ。
 二月堂を出て、土塀の続く道を歩く。
 この日は雨がしとしとと降っていたため、それが直江の気持ちと重なった・・・。

 近鉄奈良駅まで戻り、ミクさん&カメさんとお別れ。関東組+フジさんとで、宿となる明日香村へ向かった。

 昨年もお世話になった民宿。
 超家族的。

 明日香は、山に囲まれ(山に近く)とてものどかで、静か。ナカジは盆地で育っているし、山は身近だけれど、明日香は迫りくる感じが強く、とても男性的で、のどかだけど、ちょっとした怖さがある。
 「駐在所や民宿が並ぶ、ココは一番の中心地なんですね・・・」としみじみとおっしゃったオウフさん。中心地という言葉にギャップを感じざるを得ない風景で、妙に印象的だった。

 あいにくの曇り空で、ときどき雨がばらつき、昨年体験した祭りが中止となっていた。それでも橘寺まで行ってみると、夜の無料拝観期間中で、しっくりと、お参りした。外灯がない暗いところは、危うい。目がよく見えなくて。

 宿に戻って順番に入浴。いろいろとしゃべり、というか、ナカジはミラージュの解説をし(させてくださったみなさんに感謝。解説しながら、内心、「やっぱりミラが好きなの」とよくよく思っていた)、眠りについたのだった。


9月18日


 朝食を食べ、柳生の里へ。
 ちなみに、ナカジ、柳生十兵衛についての知識全くなく。
 山道をグルグルと行き、村に出たというシチュエーション的に、もう、人里離れた村に迷い込んだ、という感じ。よそ者として木々の陰から見つめられている感じ?
 適当な駐車場に車をとめ、柳生家菩提寺・芳徳寺に行く。石畳の山道を登る。脇の竹林にはスパッと切られたような竹がたくさんあり、夜中に竹を切って鍛錬しているのかしらねぇ、と想像してみたり。
 柳生家の墓参りをし、資料を見て、旧柳生藩家老屋敷へ。財政を立て直した小山田氏の屋敷だったそうな。
 ここは、なんと、山岡荘八先生が一時所有し、過ごした場所だった! ナカジが武将の道を歩むきっかけだったのは、山岡版『織田信長』。ここで山岡荘八に触れることができるとは思っていなかった。
 遺族が寄附したために、今は奈良市の財産となっているお屋敷の中は、資料館となっている。
 主の部屋では、山岡の視線を体験し(写真を撮り)、庭園を眺めようと山岡が座っただろう縁側に座り(写真を撮ってもらい)、感慨にふけった。
 「庭園を眺めるために、ここに座ったかなぁ〜、、、と。座ってないかもしれませんけどね(笑)」
 「座ってたんじゃないかな。人がココって思う場所って、そんな違いはないと思うから」
 フジさんにそう言われて、嬉しかった。

 それから、陣屋跡へ。
 城を建てるほどではない藩の、政庁跡を「陣屋」というらしい。建物が残っているわけではなく、遺跡状態。広さを認識。

 柳生茶屋でお昼。
 また、粥定食(でも今度は茶粥)を食べる。
 ヘルシーで、いい。

 それから近鉄奈良駅に戻る。
 お騒がせ、ナカジの個人的希望で近くのマクドナルドに行き、気持ちの中で「ここに違いない」と断定して、写真をとる。千秋(安田長秀)と高耶(景虎)が天理方向に行く前に立ち寄ったのが、マクドナルド。千秋の運転するレパードで松本から来ているから、この商店街の中ではないような気がするのだけれど・・・と思ったが、ココ、と断定。帰宅して本を開き、近鉄奈良ではなく、JR奈良であることを知るのだけれど。(みなさまっ、失礼しました!)
 猿沢池周辺のみやげ物屋をのぞき、それぞれにお土産購入。
 前日から話題になり、気になっていた「大仏様の鼻くそ」というお菓子を見つける。「鹿のフン」はたくさんあるのに、鼻くそはなかなか見つからなかったのだ。ナカジは「大仏様のへそのごま」をゲット。
 "鼻くそ"なんて、大仏様、どんなお気持ちでしょうね。そういえば、大仏様を写真に納めようと、「はいっ、こっち向いて、こっち向いてよんっ!!!」「笑って笑ってぇ〜!!!!」と叫ぶ大人がいた・・・。

 ここでフジさんとお別れし、関東組は一路、東京(というか、横浜)を目指した。
何となく、車内の空気が重く・・・オウフさんが「休憩しよ!」と言ってくださったので、行きと同じ多賀SAで休憩となった。モーバさんにたこ焼きをごちそうしていただき、車の中がちょっと和み〜な雰囲気に。みなさん、やっぱりちょっとお疲れで、、、適度な休憩は大事なのだ。

 神奈川県内の渋滞が20キロくらいという表示があったのだけれど、幸い、巻き込まれず、スムーズに横浜についた。ファミレスで夜ご飯を食べつつ、精算をし、解散した。

 運転しっぱなし、しかもオフだから歩きっぱなし、という状況でひたすら体力を使ってくださったタロさんに感謝。しかも幹事役もやってくださっていて、こまごました調整をやっていただいていたことは本当にありがたい。その大変さ、よく知っているので。
 いろいろな時代を体験できて、だから、連綿と続いているのだな、と思うし、自分も長い歴史の中ではちょっとの存在だろうけれど、その一端ではあるわけか、ともちょっと自分をかわいがってやろうと思ってみたとかみなかったとか。


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