信長忌
2009年6月2日
イノダコーヒー店(本店)→阿弥陀寺→(現)本能寺→伊兵衛Ihee本店
8時に京都駅に降りたち、バス・地下鉄カードを購入。イノダコーヒー本店がある烏丸御池へ向かう。途中、堀川蛸薬師を通り、「この辺に本能寺があったんだよね」と今は学校になっているあたりを眺めました。
烏丸御池まで45分ほどかかってしまい、標準がわからないのですが、『こんなにかかるもの??』。
そういえばコーヒー店の住所や電話番号をメモしていなく、九字を書くように自分で描いた地図を見て、2本目左・3本目右、と歩きました。実は通りにはちゃんと名前があるので、それを記しておけばラクだったか、と思いましたが、これでもちゃんと着けたので。烏丸御池まで時間がかかったこともあり、イノダコーヒー店に入ったのは8時50分。予定より遅いです。
朝食に、お目当てだったウインナーセット 1,200円。
ウインナーと千切り野菜でこんなに豪華な雰囲気を味わえるなんて、お店って不思議です。
ゆったりとブレックファーストを、なんて思っていましたが、一人なので、普通にモクモクと味わっても20分程度で終了。
地下鉄とバスで、河原町今出川へ向かいました。
バス停から10分ほど歩くと、阿弥陀寺。
ちょうど10時で、法要が始まりました。
今日は信長様(以下、殿)と家臣たちが本能寺と二条城でお討死にとなった日。
当時、殿を供養した清玉上人が開祖の阿弥陀寺では毎年、忌日供養が行われています。
家紋がちょっと違っています。
拝観料1,000円と、供養後の講演拝聴料1,000円を支払い、本堂へ。
開け放たれた本堂には檀家さんたち以外に、ワタシのような殿、あるいは蘭丸、歴史を好きな人たちが集まって椅子に座っています。
お経の中に、殿や蘭ちゃんたちの戒名があげられ、この方たちの供養だ、という意味がわかります。また、このお寺の31代トップの方が3月にお亡くなりになったそうで、その供養にもなっていました。
ワタシは廻廊のこの角に座りました。
殿は本能寺にて、この欄干に足をのせて槍を持っている(はず)なので(笑)。
時折風が抜けてゆき、冷たさを感じることもありましたが、青空を仰ぎみて、殿に届いているかしらん、と思ったりしました。
正面にご本尊の阿弥陀像があり、向かって右に、清玉上人の木像と31代の方のお写真があります。檀家さんたちはお焼香をしていました。
向かって左に信長様のお位牌があり、その前での改めての供養の際、明らかに檀家でないワタシたちにも「信長様にお焼香なさってください」と和尚さんが声をかけてくださり、お焼香しました!!!!!!!
席に戻って、感極まったのか落涙。
すがすがしい日で、本当に良かったです。殿が確かにいたことを、実感しました。
供養は生音の楽器がにぎやかで、和尚さんは白いフサフサを振っているし、浄土宗のこのお寺の供養は新鮮でした。
11時からは『信長の棺』など歴史の著作が多い加藤廣氏による講演。
とても期待していたのですが、戦争やNHKなど、いろいろなことに割と批判的な視線で見ている方のようで、決め付け感とクセのある内容でした。
ただ、「エンターテインメントならば嘘もいいけれど、歴史が嘘で固められるのはいただけない」ということには同感でした。
例えば、望遠鏡が発明されたのは1608年のことなのですが、信長が天守から望遠鏡で町を眺め、ふらちを働く者を見つけて駆けつけ、斬り捨てた、と言われているそうです(!)。信長が生きているときにはまだ発明されていないものがどうして・・・ということがかなりあるのだそうです。また、NHKが時代劇で扱うと全て史実と捉えられてしまうことを嘆いていらっしゃいました。歴史はただオモシロければいいというものではない、という点も同感です。
講演後、和尚さんによる本尊・お宝説明会がありました。
ご本尊の身体は、焼けたために後世に作られているけれど、ご面相は天正10年からのものらしい!!! つまり、殿も見ている、ということです。同じものを見ている感動ったら・・・。
清玉上人が書いた過去帳や、秀吉、光秀らの連署状があったり、、、おととしは写真をとれる環境でしたが、今年はちょっと難しく、必死に写しました。
今年の文書はこんな内容でした。
1.「朝廷と幕府の救済援助のために、洛中洛外全ての田畑に、1段につき1升ずつ、「段別米」を負荷する政策を行う」ということを阿弥陀寺に伝えた、1571年(元亀2年)9月の、光秀らによる連署文書。
2.「阿弥陀寺に我が軍が入って宿舎にすることを告げる」という●年10月9日の、秀吉らによる連署。木下秀吉名なので、上洛から近い年と思われる。
3.「清玉上人の勧進と再興・普請を促す」という1569年(永禄12年)6月21日の、光秀が発給した文書。上洛前年のもの。
村井の書状は今回の展示からは外れていました・・・。
その後は個人個人でお墓参り。
殿のお墓。
蘭ちゃん、坊丸、力丸のお墓。
以上で、供養は終わり。
せっかく京都に来て、まだ12時半なのだから、どこかに足を伸ばそうか、と思いましたが、これだけで充分なのですね、6月2日は。
朝早かったこともあり睡魔に襲われ、ちょっとけだるいところを、何となく、バスで市役所前へ。
昨年までは目に入らなかった「ホテル 本能寺」が目の前にッ!!!! そういえば会館やホテルはなぜかスルーしていました・・・。
ホテルに併設の喫茶店があり、休憩をとりました。。
Holly's Cafe(本能寺会館内)。
セルフです、、、。。。。
現在本能寺は屋根の改修・耐震修理中で、しばらく本能寺祭はありません。が、宝物館でステキな企画をやっていたので、入りました。
殿の文書があったり、、、もう、食い入るように、ガラスに触れるギリギリのところにヘンな姿勢でじっくり見ました。
茶道具がたくさんありました。
当時はステータスで、領地を与える代わりにもなっていたため、殿はたくさん集めていました。討ち死にする前日も、本能寺で茶会が行われていて、相当な茶道具が本能寺に集まっていたそうです。そんな名残がたくさん、展示されていました。
殿所有のお茶碗とか、、、小ぶりなお茶碗を持つ殿の手が想像できて、なんとも不思議な感覚でした。
地下鉄で烏丸御池に行き、お友達から教えてもらっていた、永楽屋 伊兵衛へ。
創業1615年の木綿問屋で、てぬぐいや、帆布のバッグなどを扱っているお店です。
永楽通宝がお店の紋のようになっています。
殿が旗印にしていた貨幣で、ここのご先祖が、殿の旗印を持っていたことが屋号の由来にもなっているそうです。家臣だったのでしょうかね。。。
織田木瓜がついたバッグはなかなかありませんが、永楽通宝の形がついたヒップバッグを見つけ、買ってしまいましたww。
14時半すぎ。もう帰りましょう、と地下鉄で京都駅へ。
当時本能寺、二条城があった場所を歩いて供養にしようかと思ったのですが、今年はここまでで満足です。
何となく空腹を感じるようになり、何か(武将系のものが)ないカナ〜とお弁当売り場を見れば、こんなものが。
出陣、というよりも、これから帰るんですけどね。
おととしは晴れで、去年は雨だったけど紫陽花がきれいで、今年は晴れました。
京都は、殿がよく滞在した場所。木々が風に揺れ、ショールが風に揺れるのは、殿が確かに生きた証で、息づかいが今にも聞こえてきそうな錯覚にシアワセを感じた一日でした。
別冊ナカジンの表紙へ
月刊ナカジン表紙へ戻る