砦めぐり〜名古屋市緑区
2009年10月18日
「日本三景は?」と同じように、「信長が築いた三砦は?」なんて「(新)日本人の常識」があるわけです、ワタシの中に(笑)。
桶狭間の戦いの際、今川方の鳴海城を監視する目的で三つの砦を殿は築きました。
そう! 中島砦、善照寺砦、丹下砦!!
砦を訪ね歩いて、桶狭間の戦いにタイムスリップしよう、という自主企画です。
野間から名鉄を乗り継いで、鳴海で下車。
扇川沿いを歩いていきますと、手越川との分岐点にきます。
ここに、殿は中島砦を築きました。
住民の方のご好意で、柵はあるものの写真は撮れるようになっています。
石碑に、かろうじて「中島」(!)の文字がみえます。(って、写真は見ずらいと思います、、、。)
ここから案内板通りに瑞泉寺へ歩きます。お参りし、正門(?)の右手の通りを、北へ歩いていきます。とにかく道なりに。
それらしきものを逃さんと(笑)、左右をキョロキョロしながら歩くので、かなり不審者(苦笑)。
まだかよッ、という辺りで道が分かれますが、左手を見ると、「砦公園」という文字が!
「でか字まっぷる名古屋」にさえ載っていない、公園です。
階段を登ってゆくと、遊戯施設がある広場になり、案内板がありました。
善照寺砦。
ここから北の方向の眺めが良かったです。今は建物がたっていて見えないだけかもしれませんが、小高い場所なので、南西側、つまり鳴海城の方も見渡せたのでは?と思います。
1560年、今川を襲撃する際に、ココに終結したんですよww。
殿と蘭ちゃんが遊戯施設で遊ぶ絵を想像してました・・・。やんちゃな殿デス。
登ってきた方へ戻り、そこから西の方向へ歩きます。
またまた、地図にはないナルミ神社の裏側にある丹下砦を求めて。
なんとなくの勘で歩いていましたが、住人の方に会い、ナルミ神社の場所を聞きました。
なんでも、えらい遠そう・・・。
広い通りに出る左手にUFJ銀行があり、右手には"鳴海"神社がッ! 地図ではここは鳴海城跡と記されていて、つまり、今川の鳴海城があった場所になるわけで、ワタシが行きたいナルミ神社とは別モノなのだろうな、と・・・。
ココもちょっと小高くて、鳴海駅の方向を眺めると気持ち良かったです。
三つの砦から、ココの監視をしていたわけですね。
広い通りを右手に折れ、ゆるい坂道を登っていきます。
今回歩いているところは全く日陰がない!日傘持ってくるんだった・・・と何回となく思いました・・・。
ようやくたどり着いた"成海"神社。あー、こういう字を書くのねぇーーーー、と糸目(!)になりました。
実はここにたどりつくまでに、鳴海神社周辺をウロウロしてました。鳴海神社と成海神社が同じものか違うものか今イチ区別がつかず、今思えば余計な小道に入ってみたり戻ったりしていたのです。教えてもらったとおりに歩いていれば、こんなロスをしなかったわけです^^;
なので、けっこう疲れていました。
名鉄バス「白山」バス停が目の前にあり、プチ呆然。
そしてまたここからが大変で、、、丹下砦というのは石碑等はなく、とにかく「鳴海町丹下」という場所を探すしかないのですが、成海神社の入口に「史跡めぐり用案内図」が!
地図と実際の道とが微妙に違い、別れ道の進み方が違ったようで、なかなかたどりつけず、"神社の裏側"という範疇から離れてしまい、戻ったり、、、携帯の地図や勘を駆使して、地域住民用黒板に「丹下町」の文字をやっとこさ見つけました!!!(って、写真小さくてわかりにくいですね、、、)
泣けましたねi-i
それにしても、なんで成海神社が地図に載ってないんだろう・・・???
↑↑ここはちょうど神社の裏側にあたる場所ですが、この左手に、"神社にあった案内図の場所と実地とで重なる部分"、つまり、推定"丹下砦"の場所を見ることができました。
農地になっていて、ちょうどおじさんが作業中だったので、写真はあきらめました。
帰りは、「白山」から鳴海駅までのバスがちょうど良い時間にあり、それを利用しました。(1時間に2本です。)
一つの城をめぐる三つの砦。この位置関係が体感でき、嬉しかったです。
「全て緑区内にあるし、そんな狭い中に砦を築いていたのかなぁ?」「思ったより規模感が小さい?」と思っていたのですが、いえいえ、緑区、広いです!
別冊ナカジンの表紙へ
月刊ナカジン表紙へ戻る