川中島の戦いのきっかけ 葛尾城と砥石城
2010年5月5日








 外堀から着々と埋めてゆき、村上を追い詰めていた信玄。  1553(天文22)年4月、葛尾城が信玄の手に落ちると、村上は謙信を頼りました。信濃に出張る理由ができたために謙信は攻め入り、川中島の戦いが始まります。

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 坂城神社の脇から登山道が伸びています。
 川を挟んで登山者用の駐車場がありますので、そこに駐車。

 尾根に出るまでの20分ほどは、葉っぱを踏んでいくいわゆる山道や、険しい岩の道。尾根を伝っていく20分ほどは山肌となる砂の道。木と木の間にスキマが多く、はげ山みたいな感じですね。
 上りはいいのですが、くだりはすべります。柵なんてないので、すべったら、防御の姿勢をとれないとそのまま下まですべり落ちてゆきます。

 もともと山に行く予定なく出かけたため、ジーンズは持っていませんでした。持っていたパンツはウールで、アウトドアには不向き。なので、洗える綿スカートやトレンカ、母の汚れてもいいシャツや靴下を借りたいして最低限の身支度を整え、靴は昔から置いてあるスニーカーをはきました。
 すれ違ったおじさんから「スカートで登ってくるなんて、初めてだよ!」と笑われましたが、イエイエ、ぶっちゃけ、シャツを羽織って露出を控え、靴さえちゃんとしていれば、これくらいの山なら大丈夫です。

 山頂は桜が満開できれいでしたが、桜吹雪はとても悲しげでした。

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 千曲川や上田、坂城の町並みはとても良い眺めでした。

 駐車場には紐付きのバケツが置かれいて、たぶん、川の水を汲めるように、なっていました。うれしいですね〜。これで手を洗わせていただきました。

 高速に乗って、上田へ移動し、砥石城へ。
 真田家が大きく伸びるきっかけになったお城です。

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 信玄から「まあ、やってみれや」と葉っぱをかけられた真田幸隆が、天文20年におとしています。
 ここを落としたことで、真田は本地を奪還でき、信玄の覚えめでたく、その後の地位を確立してゆくのです。

 とはいえ、武田軍としてあっさり落とせたわけではなく、前年の天文19年、信玄が攻めた際には"砥石崩れ"と言われる敗退を喫しています。  ええ、ほんと、"砥石崩れ"な場所がそこここに。登山道にロープが張られていて、下る際にはそのロープをつかまないとすべる場所が多く、険しい岩地・砂地です。しかし、自分に適した足場を見つけられ、スニーカーをはいていれば大丈夫です。  葛尾城よりはだいぶ短い登山時間ですが、山頂までの10分ほどはアスレチックさ満載です。

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 米山城を望み、その後ろに上田の市街地が広がっています。
 砥石城は、米山城・砥石城・本城・桝形城の4つを総称して言います。砥石城に登る途中、米山城への分かれ道があり、砥石城山頂から本城へと続く登山道があります。


 村上義清はおもしろいところにお城を作ったな、というのが印象です。





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