もののふ戦国現地セミナー
「真田の里を歩く」
2010年6月27日








 雨が心配されたツアーでしたが、上田周辺のお天気は良く、とても恵まれたツアーとなりました。前回の武田ツアーとは全然違います(笑)。


 真田氏は、1541年海野平の戦いで世の中に出る。この戦いに負けたことで、上州・長野氏を頼るが、その後、1544年には武田に仕官する。
 1548年、村上義清との戦いに参加する。
 1550年、村上が北信濃で戦っているスキを狙い、武田信玄は砥石城を攻めてみたものの、攻めあぐね、また、撤退する機を誤り、大変な損害となった。
 その翌年、真田幸隆が砥石城をおとす。
 1574年に幸隆が亡くなり、跡を継いだ信綱は1575年の長篠の戦いで亡くなってしまう。そして昌幸が真田家を継ぐことになるが、この昌幸、外交がうまく、いろいろなことをバランスさせる見極めるに長けていて生き延びてゆくが、逆に、武田勝頼は外交の失敗により滅んでいったのだった。


 ◆砥石城
 以前に行ったときには、ダイレクトに砥石城に上り、まさに「砥石崩れ」な山肌を登るトレッキングだった。が、このツアーでは、「空堀」から「内小屋」、「水の手」、枡形城、本城、砥石城と、谷を囲む形に歩き、より、地形を感じることができた。
 砥石城は、砥石城・枡形城・本城・米山城をまとめた総称。バラバラに在った時代もあっただろうけれど、真田のときには、谷を囲む形にまとめられたいたらしい。

 お天気良く、ところどころからの眺めがとても良かった。ほんと、「郷」「集落」を眺めているという気分で。

 本城から砥石城に向かう途中、新緑のために、平地・土塁・土塁という「段々」がよくわかる場所があった。この季節ゆえのラッキーだったらしい♪

 砥石城から見える景色の一角は、平安時代からの条里になっているらしい。国分のある上田は信濃のサブセクターになっていて、要所とされていたのだ。
 「だから、平安時代からの農業地帯が信玄も欲しかったのだ」と聞き、なるほど〜!と家臣たちを養うために戦をしていたということに納得した。

 ◆昼食「真田郷 しんりん」でそば定食をいただく。そばに白いご飯がつく、というのが珍しい・・・。(普通、かやくご飯とか、、、)

 ◆真田氏記念公園
 「しんりん」と隣接しているのですが、3人のデスマスクのようなプレート(?)があります。

 ◆信綱寺
 六紋銭づくしのお寺。
 旧打越寺のとき、信綱は桜の木の下に埋葬され、信綱寺と改称したらしい。
 その元々の廟所になっていた桜の木と思われるものが、宝物館内にあった。入口脇にあるそれには墨で「廟所の桜」と書かれてあり・・・当時の桜が朽ち、一部だけ保存している、みたいな仮説をしてみました。

 長篠で戦死した信綱の血染めの陣羽織・鎧がありました!
 鎧の方は、正面を向いている上部とお尻部分がこちらに向いている下部とがバラバラのようで、上部は下級武士のもの、下部は本物なのではないか、ということのよう。

 長篠から残っているものがあることの衝撃・・・。
 藤井先生が成瀬家合戦図を解説してくださり、それはワタシにはかぶりつきな内容でした。先生ご自身が「と、まあ、長篠の話はこれくらいにしておきます。これは真田のツアーなので(苦笑)」とおっしゃっていましたから!

 お寺の下にある公園には、ワタシには理解しがたい真田の戦いを表したという巨大オブジェがありまして、しかしざっくりにしか真田を知らないワタシは、解説を読んでもわかりませんでした。

 ◆上田・真田の町
 まあ、地元なので(笑)いまさら語る場所でもなく・・・上田は六紋銭が、真田は十勇士が、それぞれマンホールになっていました!そういえば、安土のマンホールって、どうなってるんでしょ。長浜は秀吉のひょうたんでしたが・・・。名古屋は・・・?岐阜は・・・?

 ◆真田氏歴史館
 ◆真田氏館跡
 武田の躑躅が崎館と同じような造りにしているらしい。
 真田は花押、扇状地の地形利用など、いろいろなところで武田の影響を受けているらしい。
 館跡は、パターゴルフコースになっているのか、PARいくつ、なんて看板が立っていた。ここでそんな・・・ちょうど良い地形かもしれないが・・・。うん、やってみたい(笑)。

 ◆真田本城跡
 ここから眺められる景色がとてーも良かった!!
 先ほど攻めた砥石城を眺められる、山間にある集落の先が地蔵峠で、川中島につながっている、松尾山城がみえる、その向こうは上州につながる・・・臨場感アリアリっていうのでしょうか、この景色を真田も見て戦略をたてていたのか〜と感慨深い・・・。
 歩くと、距離ありますね〜、遠いですね〜。

 今日歩いたところ、藤井先生から常に「で、こっちが○○山城」と言われる場所だらけで、それだけ山があれば山頂に城を築いていた、ということなんですね。把握しきれませんっ!

 ◆総括
 武田、織田、秀吉ら大大名から常に最前線部隊とされ、翻弄されながらも生き残った一族。 武田家臣団は、長篠の戦いでほとんど主だった者が亡くなっているが、真田は軍団を再構築している。徳川に攻められても負けなかったわけです。
 世の中の情勢をよくながめ、バーターし、あるいは戦い、流れに乗りながら生き延びてゆく、というのは現代の企業経営にも言えます。CFOとしては参考にしたい、真田一族でありました。

 「高速の右が真田の町、左が上田、正面の山が景勝が陣を敷いた場所」とか「休憩の上里SAは、滝川と北条の戦場になった場所」といった、リアルで、タイムスリップしているような感覚になる情報をいただけるのが、藤井先生ガイドの素晴らしいところ。
 第2東名工事が本格着工する前に、藤井先生のガイドで長篠に行きたいと強く思うナカジでした。





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