北条家の小田原を堪能!
(別名:『炎の蜃気楼』高耶さんバースデー記念ツアー)
2010年7月23日
7月23日大暑は、高耶さんの誕生日。
直江と30年ぶりに再会した松本は行ったな〜、日本一有名なマクドナルドにも入ったな〜、高耶が景虎として覚醒し、毘沙門刀を使えるようになった仙台はまだ行ってないな〜、まほろばの龍神の舞台は行ったな〜、江の島も行ったな〜、高耶たちが修法を行った小動神社も行ったな〜、千秋が活躍した富士宮の浅間神社も行ってるな〜、景虎パパ、謙信の春日山城も、御舘の乱の場所も行ったな〜、富山は行けてないけどあそこは車で行きたいし、山形もそれと意識せずに行ったな〜、まあ、ミラージュ知る前に広島や山口、萩にも行ってるしねぇ・・・むむむ、けっこうアクティブに、しかし地味に、ミラージュツアーをやっているのです、ワタクシッ!
まぁ、歴史好きさんが戦国時代にまつわる場所を訪れればおのずとミラツアーとして成立する、ということですが・・・。
仙台はちょっと遠いので、まだ行けていない関東、小田原へ、
バースデー
ツアー。
*最初からグレーフォントですが、ワタシがきちんと歴史を見ている部分、あるいは妄想以外はブラックフォントです。
*間違いを修正したり、しました。(2010/08/10)
ホテルでコンチネンタルブレックファーストを。
前日、歌舞伎町はコマ劇前で酔っ払い大学生とけんかし、ズタボロになった高耶をピックアップした氏照にぃと(拉致られ王)高耶さんが泊まったホテル、京王プラザホテル。
ここのラウンジで朝食をとっているのですが、
西口地下道から排出される人の波を眺められるのはコーヒーハウス「樹林」。
氏照にぃと高耶さんが座った場所かな〜、と勝手に妄想。
本当はここで高い朝食をとるつもりはなかったのだけれど、やり残していた仕事を思い出し、朝ご飯を食べずに早朝出社。仕上げてからこのツアーに入ったため、気分転換とエネルギーチャージのために、朝食をとりました♪
昔、近くのオフィスビル内で働いていた時によく樹林には来ましたが、サービスの質がはっきりと低下していて、ビックリしました。いつの間にこうなってしまったの・・・?
そして、高耶さんのように、
コーヒーを飲み干しました。
小田原在住のYさんに「ワタシの一人ツアー後にご飯でもどうですか?」と声をかけたところ、ツアーにつきあってくださるということで、ナビを全面的にお願いしました。
ポイントは氏照にぃたちの御墓→小田原城→御幸之浜であることを伝えたところ「墓、城、浜ですね!」と^^;。
北条家にとても詳しいYさん、ミラージュは北条家が主役級に登場する『覇者の魔境』『群青』はお読みになっています。なので「御幸之浜には日暮れ時でいいですよね!?」とありがたいお言葉が(笑)。(氏照にぃと高耶さんが訪れているのは、日が暮れかける時間)
Yさんから、オプションな場所もご紹介いただき、そのひとつ、景虎が越後に養子に出される前に養子に入った(ヨメをもらった)、北条幻庵屋敷跡へ。
幻庵の御廟があります。
早雲の三男・幻庵から始まる久野北条家は、当主が三郎と称してしました。
嫡男・三郎(時長)が若くしてお亡くなりになり、その後、家督を継いだ次男が"新"三郎(氏信)となりましたが、この方も若くして戦い討ち死に。お子がいたのですがまだ幼かったため、氏康の息子である景虎が家督継承者として抜擢され、幻庵の娘をヨメに迎えます。その翌年、相越同盟が成立。氏政の息子が越後に送られるはずでしたが、子煩悩な氏政は嫌がり、代わりに景虎が越後に送られたという・・・わずか三ヶ月の久野北条家当主・・・。
幻庵は早雲から氏直時代まで100年近く生き、栄枯盛衰を全て見ている人。久野北条家は所領も広く、力があり、幻庵の息子のままでいたら、どこかの城主になり、幻庵の土地や財を受け継いでいただろうと思うと、御舘の乱で亡くなったことが悔やみきれないことといいますか、なんともいえない運命ですね・・・。
当時からそのままある池かどうかはわかりません。
水源がこちら↓。(写真、わかりずらっ、、、)
屋敷が実際にあったと推定される場所は、幼稚園になっています。この裏手に、池の水源がありますが、水が生じているということは植物が育つということで、ずっと存在し続けているのだとしたら、豊かな土地に一時ではありますがお住まいだったのではないかな、と思います。
跡地が幼稚園って、高耶さんらしい(???)です。
幻庵のお墓がある京福寺へ。
普段、閉じられているそうですが、今日はオープンになっていて、中に入ってお参りできました♪ 大暑だけあって非常に暑いのですが、ココも尾根の一部のようで、風がよく流れていて気持ちよかったです。
バスで駅まで戻り、お墓へ。
高耶さん(というか景虎)のお兄さん、
氏政にぃと氏照にぃが眠る場所。商店街の中に、他のお店と同化するように墓所があり、それがあまりに自然。
商店街からお城方向に歩くと、堀跡が見つかったという幸田口門跡が。
上杉が攻めた際、ここに謙信がやってきて、お茶を3杯飲んだらしい。。。ホントかな(笑)?
市民会館手前の駐車場。
「たぶん、ここの駐車場に止めて、砂利道を歩いたんだよ。でも、この砂利道は車椅子が通りにくいからということで、舗装されたんだよ」とYさんから言われ、10年以上前の小説のままの雰囲気を感じることはなかなか難しいな、と思いました。
しかしそこから正門、本丸まで高耶さん・氏照にぃと歩いている気分に。
常盤木門には、氏康パパが植えたという七本松の、今も残る1本!
氏康が植えたということは、氏康も、景虎も眺めているに違いなく、同じ松を眺める感動・・・。
しかし、高耶さんが眺めた「動物園の動物たち+お城」という奇妙な光景は、今は見られなく残念。
そして、天守・見晴らし台へ。
この眺めはじっくりとYさんに解説してもらい、Yさん=氏照にぃ、ワタシ=高耶さん気分を妄想。
八幡山、その後に明星ヶ岳、四ツ尾(明星・明神の間の尾根)、明神ヶ岳、駒ケ岳(ということはその向こうが箱根)、そして二子山、手前が石垣山、海側には真鶴や伊豆半島が・・・とパノラマの解説!ブラボー、Yさん!!です。
天正18年(1590)、小田原攻め。
石垣山の方には三成らの陣が見えます。
細川の陣だった場所が見えます。
山側からは囲まれ、じゃあ、逃げ場は海かと思えば、海は九鬼らの水軍が置かれ・・・本当に四方を囲まれていたんだな、とイヤな気分を体感(苦笑)。
見晴らし台で本当に堪能し、いつの間にかお城が閉まる時間になっていて、通用門から出ました。
報徳二宮神社にある二宮尊徳の像。
二宮尊徳って小田原出身だったのねー、というか、それ以前に、二宮尊徳って実際にいた人だったのねー、みたいな、、、。
ワタシを含め多くの方の中で二宮尊徳=薪をしょって読書している姿で止まっているでしょうけれど、本当はこんな姿だったらしい!
そしてこの人の合理的発想が、ワタシはとても気に入った! この人、もっと広まっていいんでないの?(=大河化されるような人じゃね?)と思いました。
いよいよ御幸之浜へ。
堀跡にスポーツ会館が建っている箱根口。駐車場に何気にあるレンガが堀跡を示していることを聞き、「はい?!マジで?!」と驚くほどのわからなさ、というか、紛れ込んでる感、でした(笑)。
氏照の屋敷がこのへんにあっただろうポイント。
大蓮寺が左手にあり、この道路周辺、この道路を挟んだ向かい側に氏照の屋敷があったのではないかと、それを推測させる、隣の柿が塀を越えてウチに進入している的な争いごとの文書があるそうです。
閑静な邸宅街、道路が碁盤目のようにきれいに在るので、昔からの高級住宅地であることが想像でき、だとすれば氏照の屋敷があった可能性は高いですよね。
こちらは伊藤博文の別荘があった場所。
伊藤博文の腰上の像がありますが、だいぶさびている、時代を感じさせる像。
石垣は現代のものですが、それが積まれている土堤が北条時代の総構え土塁の生き残りのようです。(スゲッ)
そんな名残をクンクンしながら-----
でも磯の香りがしないな〜、海の音がしないな〜と思って歩いていたのですが、西湘パイバスをくぐると、もう、そこには打ち寄せる波が・・・! えぇっッ、海の出現が唐突すぎ!
西湘バイパスがあるために、波の音が遠く、磯の香りも遠いらしい・・・。道路1本って、自然の在り様を変えますね、、、。
景虎が帰ってきたいと思っていた、北条の海・・・を感じるには、
驚くほど狭い浜でした。
ここにやってきた高耶さんと氏照。この時には既に高耶さんはどうしてここに連れてこられたか想像がついている。「北条に返っておいで」という氏照に、高耶さんは「オレは上杉の人間だ。元身内だろうが、怨霊なら調伏する」とバトルを展開する。挙句、日光から盗まれた"封魂鏡"に魂を封じ込まれてしまう!!!!!
『群青』では、氏政と氏照が景虎について話している際、里見と思われる者に襲われる場所。
静岡方向には石垣山がみえます。
砂浜ではなく砂利道といえるところを東京方面にちょっと歩き、バイパスをくぐり、市街地の方へ。
途中、「なおえ」という小料理屋に内心で萌え
、そして松原神社でお参り。
『群青』で、裏切り者・松田の破壊工作に合ってます。
「ういろう」で氷菓子をいただく。
調剤薬局の奥がちょっとした穴場的喫茶になっています。
白い豆餡がのっていて、氷の下には普通の餡とぎゅうひがあります。ひんやりとおいしい、炎天下を歩いた身体には優しい氷でした。
Yさんおススメの地元フードを買いました♪
まさカリーパンは、冷やしても硬くならない、おいしいパンでびっくり!
北海道にある箱根牧場の納豆は大変に美味でした!
Yさんおススメ豆腐屋さんの揚げは、こゆい味が良かったです♪(風間=風魔ってネーミングがね、もー、いいじゃないですかっ)
北条五代が文書につかっていた朱印が刻まれているもなか、存在がステキ過ぎ。
しそのお菓子、しそ・梅好きなワタシには大満足。
・・・Yさん、ありがとうございました!
お城から見て、一方に海が広がり、また一方は沿岸部から始まるゆるやかな尾根で囲まれているという小田原市は、今でも北条家や風魔の結界で守られているのではないか、と思わされます。
市街地から離れた場所でも土塁跡や石垣が残っているところはかなりあり(有り方が町に溶け込んでいる)、また、市全体の道路が細み、クランク状になっているので、城がそのまま市になった、直径10キロはあったという小田原城の広さがわかります。
Yさんのおかげで、小説の世界と戦国時代、とワタシがシンクロでき、とても有意義な北条家ツアーでした。(いやいや、高耶さんバースデー記念ツアーだからっ!と、なんか大事なことを途中から忘れていた気が、、、)
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