「信長・秀吉・家康の合戦」徳川美術館
2009年8月28日









 *これはレポートというよりも、ワタシの萌えメモになっています。


 徳川美術館の企画展と、名古屋のモーニングを食べる、という企画。
 企画展が31日までなので、平日無理矢理こじ開け、出かけました。

 朝ご飯を食べずに新幹線に乗り、向かうは名古屋。そして大曽根。
 駅から7分くらい歩くと、お目当ての「喫茶 ぱんとまいむ」。

 「モーニングをください」なんてオーダーをしてしまったのですが、よくよく考えてみれば、ドリンクを注文すると11時までの時間帯なら食べ物が主役のようについてくる、というのが名古屋モーニングの趣旨であり、「コーヒーください」とオーダーすればよかったのだ!、なんて後の祭。
 アホな注文にステキに対応してくださる、いい店員さんでした。きっとご夫婦で経営していらっしゃる。
 丸いパン(スコーンと、ケンタッキーのビスケットのあいのこみたいな)が、とてもおいしかったですが、どこのパンなんだろう・・・。
 卵焼き・酢の物・かぼちゃサラダ・ソーメンと、今朝は(?)非常に和チックなおかずでしたが、初モーニングはおいしくいただきました。

 徳川美術館の通用門には、葵の御紋が神々しくあり、「まだここじゃないだろ」という感じですが、ココで写真撮りまくり。
 殿の"顔はめ"もあり、売店の方に見られながら、2パターン撮りました。ちゃんと殿の顔の向きに合わせましたからッ。


 ここの常設展示室は7つほどあり、企画展室に入る前にけっこうグッタリ(笑)。
 それでも、企画展室に入ると、真っ先にあの有名な殿の肖像があり、グンとモチベーションがあがったのでした。
 「新発見・初展示」となる殿の書状がけっこうあり、いずれも徳川美術館所蔵になっているので、きっと出し惜しみ、いえ、気をつかって展示しているのでしょうね。
 殿の政策がわかる書状がこんなに残っているなんて!とかなり感動ものでした。
 また、秀吉の小田原攻めは、単に天下統一の方法ではなかったことを知り、へぇ〜、でした。
 秀吉は、「惣無事令」という領地取り合いなどをすることを禁じることを発令したのですが、その何年後かに、北条家家臣が、真田昌幸の名胡桃城を奪ったのだそうです。それは「惣無事令」違反だと、北条家討伐に出たのだそうな。
 殿の延暦寺焼き討ちもそうだけど、ちゃんと理由があるんじゃん、と知ったのでした。

 常設展の標準見学時間は1時間、企画展で1時間とされているところ、メモしまくり、殿の書状の前でかぶりつき、だったためか、3時間はいました。


 以下、気付きのメモです。
 ■
 馬標とは、陣中、総大将の居所を示すもの。
 三所物(みところもの)というのは、小柄(こづか)、笄(こうがい)、目貫(めぬき)。これが同一文様・同一作者のものが、江戸時代の武家ではマストだった。第一製作者は後藤家。
 禁制とは、戦乱に巻き込まれないように、寺社などに発行された安全保障証のこと。

 ■
 天下布武は、岐阜へ移った頃から。
 墨俣一夜城は、永禄9年(1566)、龍興が守る稲葉山城を攻める際に、築城。
 兼松正吉:桶狭間の戦いで、馬廻り衆として初陣。その後、刀根坂合戦で武功をあげる。信長→秀吉→家康→松平忠吉→徳川義直(初代)とつかえている。各人の没後まで、仕えることを全うしていて、この仕える歴はすごい。ある意味、世渡り上手で、世の中を見渡せていた人。
 甲州金:一両=四分=十六朱、という四進法による国内で初めて貨幣単位を制定。
 小田原合戦:天正13年(1585)、秀吉は「惣無事令」を発令。天正17年、真田昌幸の名胡桃城を北条家家臣が奪った。そのために、惣無事令違反として、北条家討伐を発令した。これが始まり!

 ■
 ・よく見慣れた信長像
 亡くなった一周忌に描かれた、よく表されているとされているもの。
 ・中島郡勝幡城の古城絵図
 現在では、名古屋城二の丸ではなく、勝幡城誕生説が有力。
 ・武田信玄書状 武井夕庵宛
 越前、北近江を鎮圧し、無事帰国したことを祝う書状。実際は、浅井の裏切りによる敗戦だった。信玄は、加勢を依頼されていたが出せなかったことを謝ってもいる。
 ・家康、三方ヶ原戦役の画
 あの有名な絵のホンモノ。
 ・織田信長領地安堵状/赤沢右近宛(新発見)
 赤沢右近が誰かは詳細はわからないが、荒廃した土地の所有者を明確にし、領地経営をやっていたことをうかがわせる内容。
 ・織田信長朱印状/延友佐渡守宛(新発見)
 岩村城を落とす際、五男を人質にすることを記している。
 ・明智光秀書状 津田備中守・津田利右衛門宛
 徐徐に本本願寺を追い詰めている動きがわかる。
 ・唐物茶壺 銘 金花 織田信長所用
 公記巻4に記されている。安土城普請祝いに贈られたもの。
 ・織田信長書状 万見仙千代宛(新発見)
 先日の礼に誰かを仙千代の下に遣わす、と。具体的には未定。
 ・織田信長書状 村井貞勝宛
 御所へ真桑瓜を献上せよ、と。(岐阜の名産品)
 ・織田信長黒印状 河尻秀隆宛
 3/5に出陣するよ、と。武田をあなどるなかれ、と指令。3/3には落城している。
 ・太刀 銘 長光 織田信長、明智光秀所持
 本能寺の変で明智の手に。
 ・羽柴秀吉朱印状 新庄蔵人(直忠)宛
 信長にならった朱印状。「後継者」という意思を表している。
 ・青磁香炉 銘 千鳥
 三つ浮き足がついていて、秀吉の危機を教えてくれたとされる。→本能寺の蛙と同じ、三つ足
 ・太刀 銘 国俊 細川忠興、石田三成、徳川家康所持
 細川から三成が買ったもので、関ヶ原後、探し出された。

 「新発見・新出品」とされている信長の書状がけっこうあり、いずれも徳川美術館所用品。きっと、もっとたくさん隠し持っていて、折を見て出しているのだろうな、と思います。


 いや〜、もう〜、激しく萌えすぎました・・・。


◎歴史場所◎チェック
・稲生原古戦場:名古屋市西区名塚町(庄内通駅)
 信長×弟・信勝+勝家の家督争い→和睦→再び信勝が謀反の旨、勝家からチクられる→清洲で殺害。
・道三塚(供養塚):岐阜市道三町(バス・北消防署前)
・末森城跡:千種区城山町(覚王山駅)
 父・信秀の病没地
・豊国神社:中村区中村町(中村公園駅)。秀吉誕生の地。
・妙行寺:豊国神社の南隣。清正の生誕地。
・平手政秀邸跡(志賀城跡):北区平手町(黒川駅)
・勝家生誕(下社城跡):名東区陸前町(上社駅)
・利家生誕(荒子城跡):中川区荒子町(高畑駅)
・丹羽長秀邸跡:西区児玉(浅間町駅)

 まだ行けてないところ、ありますね。


 それから栄に出て、お昼。どうせなら名古屋らしいものを食べようと、みそかつ目当てに「とんかつ いし河」へ。どてカツ丼を食べました。
 カツはさっくりで、どて煮はこゆい感じでした。

 それから、名古屋港水族館へ。
 3万匹のイワシのトルネード!!!美しかったです、、、。





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