『戦国・織豊期の古文書』(國學院大學博物館)
2014年11月9日
殿が義昭を奉じて岐阜から上洛する時、通り道にあたるところを平定していったのですが、その際に出された禁制の一つ、吉田郷に出された禁制が、この展覧会の目玉の一つ。
天下布武の印判が!
京都所司代となった村井貞勝が、領主である正親町家に対して「年貢納めてね」という手紙を出していますが、その本文中に「信長」(も同意していることであるが)という文字があり、なんか、感動しました。主従だったから。
村井殿の文字は、右下の方にななめっていた。
長く続いた戦国時代で公家たちは所領を武士たちに奪われ、生活は困窮していました。
天正3(1575)年、殿は公家衆に対して一斉に領地を給付していますが、その一つ、正親町季秀に領地を与える朱印状がありました。
公家衆との対立が主張される研究は多いですが、こういう文書のためか、最近では対立と捉えるのは少なくなった印象です。
こういう細やかさに、殿はちゃんと世の中の平定を望んでいたことを、感じます。
アンケートを記入した方はお持ちください、と何種類かのポストカード、しおり(?)が置かれていたので、もちろん、殿の禁制バージョンをいただきました!
図録売ってほしかったよ〜、写真はNGと言われたてメモ帳持ってこなかったから書きとめたくてもできない(泣)とウロウロしていたら、立派なリーフレットがフリーで置かれていましたw。
普通にみなさん取っていくので、こちらの展覧会では普通のことなのかもしれません。リーフレットとチラシが見た目同じなので、リーフレットだと思わなかったのよ、、、(汗)。
秀吉から吉田兼見へ、何かを上げる書状が多くて、この二人って親しかったの?と、ヘンな勘ぐりを入れてしまった^^;
書状には年代が書かれていないので、いつ発行されたかはすぐにはわからない。けれど、文書中にある事件や、使われている呼称などから、●年から×年の間に出された、とわかる。
そういう研究、いいな、と思いました。
そして、一言書かれているその事件をどういう事件と認識できるか、も技術ですよね。
こういうの見ると、「ワタシも筆でかけるようになりたい!」と思うのだ。。。母からは筆書きの、まさに書状といえる手紙をもらいますが、書く側に、なりたい。
他の展示物も見たのですが・・・
土器や土偶が所狭しとギューッと並べられていて、けっこう、圧巻というか、笑えるというか、怖いというか・・・ビックリする場所にヒトガタがあったりして・・・おもしろかったです!
遮光器土偶、やっぱかわいいねw。
火焔土器、やっぱきれいだわ〜。
ワタシ的メモ。
戦国期の代表的な古文書は4つ。
(1)「書状」
外交用、命令用、さまざまに、もっとも多く用いられたもの。たいていは右筆が書くので、自筆は貴重。
差出人の花押が書かれている、書止文言が「恐々謹言」や「謹言」、年号は無いという特徴がある。
(2)「御内書」
書止文言を「〜候也」「〜者也」として、書状より尊大な様式。
(3)「印判状」
花押の代わりに殿の「天下布武」のような印判を押したもの。差出人と受取人とに身分差がある場合に用いられた。甲斐武田家、小田原北条家もよく使っている。
(4)「禁制」
戦国時代特有の文書。軍勢の移動に伴いだされたもので、自軍の乱暴狼藉を禁止する内容。たいてい受給者の要請で出され、「筆耕銭」という発行手数料がかかった。
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