上洛オフ/京都 2003/09/19(金)〜21(日)


 去年の冬から、オフ会のたびに話題になっていた上洛オフ。日にちが具体的になり、まだまだ先だなぁとのんびりしていたら、直前に連休があったせいか、あっという間にオフの日になってしまった。

 金曜日、仕事を終えて、待ち合わせの東戸塚駅へ行く。ここでは運転手の相模守太郎さん、箱根少将さんと会い、いざ出発。有料道路を経て、東名高速に入った。(このペースで書いていくと、ものすごく長いものになりそうなので、はしょっていこうっと。)
 足柄SAで猛馬飼育係さんが運転し、東方賓従者さん、上杉播磨守定景さんが乗るグループと合流。2台の車は夜通し走る。
 浜名湖SAに立ち寄り、多賀SAで仮眠をとり、京都東インターでおりたのは7時すぎのこと。朝食を食べる場所を、と探すも、ファミレスは見つからず、あきらめかけたところで24時間営業の喫茶店を見つける。そこでモーニングを食べ、ホテルに車は置けるということで、駐車。一日バスカードを購入し、8時から拝観できる銀閣寺へ。

 ナカジは3回めの銀閣寺。
 家督争いに嫌気がさした足利義政が、庭造りに熱中した結果で、この東山文化が、日本の文化の始まりとも言われるらしい。民家に畳をしく、だとか、格子窓に障子をはる、といった書院造りこそ、日本の建築に多大な影響を及ぼしているよう。そして、釘を使わない、はめこみ式の造りが、地震にはとても強いらしい。だから、崩れるというよりも、ズレることはある。しかしその場合は、引っぱって元の位置に戻してやればいいんですと・・・。
 ただ、義政は、この銀閣寺の完成を見ずに死んでいる。見せてやりたかったねぇ・・・。
 そんな北山文化のちょっと寂れたような荒れたようなひっそりしたたたずまいのお寺とは不釣り合いな江戸時代の庭。砂がきれいではあるのけれど。
 京都集合組との待ち合わせ時間が近づいてきたこともあり、バスで移動。
 地下鉄の出口で、はまさん、お松さん、富士奇跡さんと出会う。

 そして、いよいよ今回のメインイベント、京都御所見学。
 960年頃から内裏は火災にあうようになり、焼失と再建とを繰り返すようになる。その際、貴族の屋敷などを仮皇居とされるようになり、それを、里内裏(さとだいり)と呼ばれるようになる。平安時代末期には、里内裏が日常的に使われるようになり、現在の京都御所は、土御門東洞院殿といわれる里内裏の一つで、1331年光厳天皇がここで即位されてから1869年の東京遷都まで、皇居とされた。
 清涼殿、飛香舎、藤壷なんて、文学に出てくる名詞には感動。その中で見られるのは清涼殿だけだけど。

 丸一時間、解説付で見学した後は、御所近くの「竹邑庵太郎敦盛」でそばを食べる。「敦盛」は信長様が舞っているけれど、その「敦盛」と関係があるのかないのか・・・? でも、ネーミング、よし。
 たっぷりきざみ葱とわさび、生卵が入ったお碗が出てきて、そこに、熱々のそばつゆをかける。蒸された熱々のそばをそこにつけて食べる、というスタイル。そばは割としっかりしていて、おいしかった。

 御所見学中から雨が降り出し、そば屋を出ても止む気配はない。

 それから向かったのは、等持院。足利尊氏が建立し、足利家の菩提寺となっている。歴代将軍の木像がある。
 その木像、なかなか圧巻。顔の造りがユニークなのもあって、蝋人形館のよう。けっこう面白かった(?)。
 雨がしとしと降る中に寂としてあるような、蓮の形に造られた庭園(夢窓国師作といわれる)を眺めて、抹茶をいただく。茶碗には、○に二本線が入った家紋があり、足利家の家紋だそうな。それは今川も同じで、足利に跡継ぎがいなくなると今川から探し求めてきたりするらしい。(←この「する」という現在進行形なのがミソ。)

 次は船岡山にある建勲神社へ。応仁の乱の際、西軍の陣地となり、それから、船岡山一体は西陣と呼ばれるようになったらしい。
 ここには信長様が祭られていて、神社としては、永録11年10月19日の上洛日を祭日としているらしい。入口にある、「敦盛」の一節の碑を撮ったところでフィルムが終わり、以降撮れないことを非常に悲しく思う。
 ユサユサユサッと左右に振る、神主さんが持っているアレを振り、参拝。
 社殿がどうなっていたとか、今となっては覚えていないのが悲しいかな。

 次は阿弥陀寺へ。ここは「信長・信忠討死衆墓所」、つまり、本能寺の変で死んだ人々のお墓がある。本能寺から灰を持ってきたらしく、信長様のお墓は当然、森3兄弟(蘭丸、力丸、坊丸)のお墓もあるのだ。

 お参りを終えてからは、「次はどこかなぁ〜」と何となくついて歩いて行ったところ、なんと本能寺についてしまった。
 本当の本能寺とは場所が違いますが、一応、そこは現本能寺であり、資料館もある。ナカジにとって幸なことに、資料館は開館時間を終えてしまっていたので、見られず。改めて来ることを思うナカジだった・・・。

 それから、おばんざい食べ放題の店に行き夕食。京都在住、骨董店を営む宮下さんとその社員の方が加わりカラオケ二次会。途中、お松さん、富士奇跡さんとお別れする。

 その後は、京都駅周辺で宿泊のはまさん、チェックインする(関東)組&宮下さんのお店に行く組とに分かれ、ナカジは宮下さんとはお別れし、チェックイン。汗を流してサッサと寝たのでした。


 翌、日曜日。
 ホテルで朝食をとった後で、京都駅近くで宿泊していたはまさんをピックアップして清水寺へ。奥の院御本尊御開帳でにぎわっていた。ろうそくのほの明るい中で、秘仏・千手観音像を前にしてご真言を唱える。護り本尊ですから。脇侍、二十八部衆が窮屈そうに立ち並んでいるのは圧巻で、とても感激。

 その後、東福寺に行くが駐車できるスペースがなく&清水寺で時間をかなり費やしたので、帰路につくことに。はまさんを送るために京都駅方面に向かっていたところ、ちょうどファミレスを見つけ、全員でランチをとる。

 はまさんとお別れし、2台の車は京都南インターから名神高速にのる。
 いつしか雨が。
 足柄SAで、厚木インターで下りるもう1台の猛馬さん、東方さん、上杉さんとお別れする。
 大雨だったけれど、運転手の慎重な運転で事故もなく、無事に東戸塚に着く。
 太郎さんと別れ、少将さんと横浜で別れ、そうして一人になり、壮大なオフ会は終わった。

fin


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