『日曜洋画劇場 信長の棺』
【2006/11/05 O.A.】




 松本幸四郎演じる安土城書役・太田牛一の視点で描かれた、本能寺の変の真実、といったところ。
 太田牛一は、信長の業績などが書かれた唯一の歴史書「信長公記」の著者。



 本能寺の変後、10月あまり、牛一は人里離れた海岸端に住まわされていた。迎えの武士に連れて行かれた金沢城で面会したのは、前田利家と豊臣秀吉だった。牛一が知らないところで、安土城の財宝を持ち逃げした嫌疑をかけられ、そのためにほとぼりが冷めるまで匿われていたことを聞かされる。
 人里はなれていた10月の間に世の中がどうなっていたかを知り、また、信長の遺骨が見つかっていないことを知る。そうして、真実を探す調査を始める。

 本能寺へ向かう光秀があえて迂回したのはなぜか---戦の神である北斗七星を味方につけるため、その刻限を待った。
 光秀は2日前までは信長を討とうとは思っていなかった。何がきっかけだったのか---公家の近衛前久と会っていた。近衛から、逆賊である信長を討てという詔をちらつかされていた。
 侍女によれば、最期の信長は、「自害するのではなく、まるで、新しい戦いに行くようだった」--- 生きて戦う、身代わり、影武者、逃亡・・・抜け穴?
 抜け穴だとすれば「山の民」だ、と思う。山の民は、墨俣一夜城を作ったり、土を掘って間道を作ったり、忍びのようなことをしていた。
 牛一は「山の民」の長老に、「真実を知りたいから抜け道のことなどを教えてくれ」と熱心に頼み込む。
 そうして3日後、山の民から遣わされた阿弥陀寺の僧が、牛一の前に現われた。

 僧は、妹を伊勢長島の焼き討ちで殺されていた。本能寺に抜け道があることを知り、この抜け道を使って、寺に泊まる信長を討とうと思っていた。
 ところが既に明智勢に寺は囲まれ、出口となる南蛮寺で待ち受けることにした。
 しかし南蛮寺で待っても信長は現われない。
 実は、襲撃された信長は蘭丸と共にこの抜け道を通って逃げ延びようとしていた。しかし、南蛮寺へ向かう途中、抜け道は丸太でふさがれていた。そこには「にかわ」が使われ、それは「山の民」と言われる者たちの仕業であり、その指示を下したのは秀吉であることを、信長は知る。
 本能寺炎上により抜け道が崩れ、八方ふさがりとなった信長は、自害する。
 やがて、寺の僧たちがその抜け道を探索し、崩れた丸太の下に、自害している信長を発見する。
 僧たちは信長を極秘に弔い、墓場を作り、骨を埋め、その場所は秀吉が生きている間は少なくとも誰にも明かさないこととされた。
 牛一も、このときには墓の場所は教えてもらえない。

 秀吉が死に、牛一は再度阿弥陀寺の僧を訪ね、共に墓へ行く。
 ところが、僧が目印にしていたものがなくなり、どこに骨を埋めたかがわからなくなっていた。
 信長を求め、狂ったように泣き、適当に土を掘る牛一の前に、信長が現われた。
 「骨や墓などなくてもいいのだ。永い間、ご苦労であった。」
 信長にねぎらわれたことで、牛一は信長と別れ、信長を心に置くことができるようになった。




 なぜ、光秀が信長を討ったのか。  なぜ、信長の遺骨が見つかっていないのか。  この本能寺の変の2点の謎については解釈されているけれど、近衛前久から詔をちらつかされて逆賊・信長を討った光秀の動きと、本能寺の抜け道をつぶした秀吉の動きは、必ずしも関連しえないのではないか。
 抜け道をふさぐということは、本能寺が攻められることがわかっていないと意味がないわけで、だとしたら前久と秀吉がつながっていて、二人で光秀をそそのかしたということならば在りうるが、その説明はない。
 攻められることを知っていたとすれば、前久と秀吉がグルだったということになるし、攻められることを知らなかったとすれば、抜け道をふさぐ理由がわからない。
 一つ一つの現象への検証や解釈はとても面白いのだけれど、それらの関連付けが欲しかった。
 「全ての現象がこのときに必然的に重なったのだ!」というにはちょっと・・・な。


 牛一の「信長さま大好き」具合が良かった。萌え。
 「新しい日本の土台を作るのだ」という信長様の思想を理解していた頭のいい人であった反面、阿弥陀寺の僧から信長様の最期を聞いている時の牛一は「早く、その先を聞かせろ!」的な、おとぎ話の続きをせがむような感じでかわいい人だった。
 墓場で、信長様を求めて形振り構わず嘆く牛一の姿は切なかった。
 信長が京に行く際、新しい日本を作るという構想を打ち明けられ、それは牛一も素晴らしいと絶賛する内容だった。そんな野望を持っていた主の死の報せは、遺骸・骨といった何か形を見ないと受け入れられるものではなかったのだろう。そうして信長様に縛られた牛一は、しかし幻の信長様によって開放され、やっと牛一の人生が歩めるようになって良かったね、というエンディングだった。

 ということなので、秀吉はものすごく腹黒い人に描かれていて、牛一とは対象的でした。
 信長様、蘭丸よりも牛一の方が身近だったんじゃないか、と思うくらいに親しい感じでした。



 信長様が、「自ら神になろうとしたのではない」という解釈を初めて聞いた。
 信長様は、天皇(天主様)とその他大勢のおじゃる衆とを分けて考えていた。そして、安土に天主を設けたのは、そこに天皇を迎えいれるためで、京に行ったのも天皇を迎えるためだったのだ、と。
 この解釈は新しいと思う。
 「義昭と同じで、一応、たててあげるだけで実権は信長が握るに決まってるじゃん」と数多の方から言われそうですが・・・。





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