『歴史ミステリー特別企画 バチカンに眠る織田信長の夢』
【2007.01.29 O.A.】




 爆笑問題がナビゲータとなって、ドラマや探訪を織り交ぜた番組。
 WindosVistaがスポンサーなので、番組でもVistaをOHP的に使いまくり。

 信長の思想が反映されているとされる安土城は、築城後、わずか3年で、炎上している。当時の姿を忠実に描いている唯一のものが、狩野永徳による屏風絵とされている。
 その屏風絵は、時の正親町天皇も欲したほどのものだったが、信長は宣教師ヴァリニャーノに与え、それは天正遣欧使節団によって、法王グレゴリオ13世に贈られた。
 この屏風絵には信長の死の謎もあるはずとされ、その姿が430年ぶりに日の目を見るか!という番組。
 結果としては、日本(安土町長)の要請によりこれからバチカンが屏風絵を探す作業に入る、というもの・・・。



 信長が何を考えていたのかは何もわかっていない(そうだ)。
 一つだけ、安土城が、信長の願い、夢、野望を語っているとされている。見た目の壮麗さだけでなく、思想がみえるらしい。
 (う〜ん。そうかな・・・? 安土城から見える思想等は、戦いの仕方、古文書から伺える思想と、見え方は同じだと思うね。)


 信長の歴史。
 信長34才のとき、明智光秀と出会う。
 光秀は、義昭を将軍に奉じてもらうために信長は最適な人とみていた。
 信長は、光秀の才智を自身のためにつかうことを条件に、義昭の件を受ける。
 そうして1568年、信長は上洛した。そして、義昭を将軍にするも、操り人形として、自らの力をつけてゆく。
 これに敵対したのが反信長包囲網で、最大の敵は武田家だった。
 1572年、義昭の密命を受けたとされる信玄は戦をしかけ、三方が原で信長・家康軍を破った。さらに西へ進軍してゆく。反信長包囲網は、義昭を筆頭に朝倉・浅井・毛利・一向宗と広がりを見せた。
 ところで、信長に奉じてもらわないと将軍にすらなれなかった義昭がなぜ中心となれたのか。この背後に、五摂家の近衛前久(このえさきひさ)がいたとされる。前久は、乱世に終止符を打ち、朝廷・足利幕府の再興を夢見ていたのだ。
 1573年、信玄が死去し、包囲網が崩れた。信玄の志を受けついた勝頼は、しかし、1575年に長篠で破れた。これにより、信長は天下人により近づいた。
 武力では他を圧倒したが、しきたりや策略で動く朝廷を攻略するには内情に詳しいものをたてたいと思った信長は、前久と会う。

 (ここまでで、けっこう、前回更新のドラマの内容が明確になった感じ。しかし、朝廷へのわたりをつける役目になぜ前久だったのか、、、と思う。信長は「都合よく使ってやれ」と思っていたかもしれないけれど、結果、前久の方が上手だったのだ・・・。)

 官位を求めたりする信長の無理難題に、また、宮中近くで武力を誇る「馬揃え」を行う態度等に、次第に我慢ができなくなっていった朝廷。
 前久は、信長が欲しがっていた官位という人参をぶらさげて、信長を本能寺へおびきだした。欲しいものをくれる天皇への配慮として信長は、わずかな供を連れていただけだった。
 前久は、この信長を襲う実行犯として、朝廷とつながりが深く、信長と近い関係にある光秀をたてた。既に誰もが味方になっている、と光秀をのせる。
 「秀吉の援軍としての備中出陣ではなく、信長を殺すのだ。秀吉は既に味方で、三国を与えることになっている」
 「それがし一人では・・・」
 「一人ではない。皆、味方に加わっている。味方として参じよう」と、前久は連署を見せる。
 1582年(天正10年)、「敵は本能寺にあり!」と進路を変え、いざ信長を襲撃してみると、味方は誰もついてこない。裏切られたことになり、光秀は後世まで「一人信長を陥れた人」とされることになる。前久だけではなく、朝廷も絡んでいたのだが。
 (光秀、ダシにされただけ。)
 信長がやられたことを喜ぶ前久のもとに、驚くべき情報が入る。秀吉の「中国大返し」。
 光秀討伐のために、備中からわずか5日で京へ戻ってきたのだ。そして山崎の合戦で光秀を破り、天下をとってしまった。
 前久は、実は秀吉と密約を交わしていたのだが、見事に裏切られたことになる。
 さて、無人となった安土城には、信長の次男信雄が入ったが、間もなく火を放ってしまう。
 父・信長に翻弄された人生で、父の呪縛からとかれたかったのだ。
 (信虎と信玄しかり、謙信しかり、戦国時代、父と息子という関係は複雑だ。)
 構造的に火に弱かった安土城はあっという間にその7層の塔を崩した。
 信長暗殺を責められるのを恐れた前久は、家康の下へ逃げる。その家康のとりなしで宮中へ戻り、秀吉を関白におさめた。
 1612年、前久は死去する。

 以上、信長の歴史というよりも、途中から前久の歴史になっている・・・。



 こうしてたどってみると信長の周りは敵だらけだったのだなぁ、と思う・・・。



 本能寺の変の謎の一つ、信長様の遺骸がないということについて。
 髪の毛一本すら残っていなかったのは、鉄砲等の火薬を本能寺にたくさん貯えていたため、それらが炎上して爆発、信長は爆死したために何も残らなかったという説になってきているようだ。



 安土城は、六本木ヒルズと同じ高さなのだそうな。そんな比較、したことなかった・・・。
 情報と経済力は、ヒルズ族と共通するものですが、どの時代も、それが大事なのですね。



 信長は、(梁田政綱のもたらした)情報で桶狭間を勝利し、火薬で長篠を破り、ほぼ天下取り状態になり、しかし情報を持っていたら前久の策略に気づいたはずで目の前の人参に溺れ、そして本能寺備蓄の火薬で滅んだという、自分でステップアップしてきた材料に踏みつぶされたような、すさまじい人生。

 何か結論づけられた番組ではなかったけれど、わたしの古い情報が更新されて、良かった(笑)。そして、おもいろい番組でした。





別冊ナカジンの表紙へ

表紙のCONTENTSへ