『「信長の棺」完結編 スペシャルドラマ 敵は本能寺にあり』
【2007/12/16放送】




 本能寺を攻める、光秀の養子左馬助(市川染五郎)の視点で描かれた本能寺の変の真相。
 信長役は玉木宏。

 光秀の娘、綸は、信長の意向で荒木村重の嫡男に嫁がされ、しかし村重の謀反で光秀の元に戻された。

 信長と左馬助は、雨宿りをしていて、互いを誰かは知らずに出会う。
 それぞれの立場が明らかになり、左馬助と綸との関係も話題になる。許婚であったことを聞いた信長は「引き離したのは儂か? 恨んでいるならば斬れ」と言う。(これは信長が左馬助を気に入った証拠。堂々と潔い人を、信長は好む。)
 それに対し、引き裂かれた恨みは琵琶湖の水底に沈めた、と応える。

 信長は左馬助を安土に呼び寄せ、馬の様子を見させたり、試飲させたり。地球儀を見せたり・・・楽しそう。そして、馬奉行として仕えるよう、話し出す。
 あてのない自分を拾ってくれた恩が光秀にはあるからできない、と辞退する左馬助。
 「恩はあだむかれ、情はしがらみを生む」と信長は笑う。
 ならば何を信じているかという問いに、「力」と言い切る信長。
 結局辞退し、光秀のいる坂本に戻った左馬助は、当初から夫婦にという予定だった綸と結婚し、明智左馬助となる。

 光秀の下に、都で馬揃えを行い、その総奉行をするよう、所司代・村井貞勝が伝えにきた。
 その内容に恐ろしさを覚え、光秀は早速御所に行き、天皇を守るために馬揃えをしたいのだ、と言葉巧みに申し開きをする。朝廷と信長との狭間で苦境に置かれる光秀。
 そして、2日後、馬揃えの許しが出た。

 2月28日、馬揃えが行われ、光秀は「お屋形さまは増長なされたのではないか」と不安をもらす。

 武田を倒した後、信長は浜松へ向かった。
 その道中、良いもてなしであった、と家康を安土に招くことを決める。
 徳川家家臣たちは「訪ねれば臣下になったも同然」とこの申し出に悩む。しかし家康はケロリとしたもので、「臣下になろうがそれはあくまで形。形はいずれ崩れる」と招きに応じることに。
 信長は光秀に、家康の接待役を任命する。

 光秀は、織田家譜代の家臣たちが追放されていく様や、転落していく様を見てきていた。それがとてもみじめなものであることを感じていた光秀は、信長の望みにはそつなく精一杯にこなしてゆきたいという安定志向になっていた。接待役も、普通に、しかし成功すれば戦と同じくらいの武功になるために、張り切っていた。
 そんな気持ちでいたところへ、信長から、秀吉の援軍に行くように命じられる。
 備中攻めをしている秀吉から援軍を求める急ぎの書状が届いたのだ。  接待役をしている光秀を援軍に送る理由は信長にはあったのだが、その理由は告げられなかった。
 無念だったろう・・・と、前久や招かれている徳川家、明智家家臣たちがささやく・・・。

 左馬助に隊長を命じ、自分は後から行く、と言う光秀を、左馬助は不審に思う。
 間者を使うと、公家と文を交わしている様子がわかり、光秀をおいて出陣はできないと左馬助は判断する。

 そのころ、信忠と堺を訪問する予定だった家康が、「堺へは一人で行ける」と、信忠には信長と一緒にいるように伝える。

 出陣前に亀山城にて、信長を討てという御綸旨(ごりんじ)があるかもしれない、と光秀は話をする。
 分が良い方になびいて生きながらえてきた朝廷のことだから、証書がないと信用できない、と左馬助は言う。
 「臣下とはいえ、度がすぎたことは戒めないといけない。そして、もう恐れるものはなにもない」と討つことを決めた光秀に、左馬助は従うことを決める。

 そしていよいよ、我が敵は本能寺にあり!
 左馬助は、信長を討つことではなく、捕らえることを目的としていたが、それは左馬助のみで、討ち取る流れになっていた。
 「しがらみに負けたなっ!」
 「光秀の下へ下されますよう!」
 信長と左馬助が対面し、交わされた言葉。

 家康・前久・秀吉・朝廷によりはりめぐらされた見えない糸で、光秀ははめられ、山崎の合戦で敗れることになる。

 安土で、左馬助は狩野永徳が指定した日の出時間に、会った。永徳が時間を指定したのは、天主閣にこめられた信長の意向を伝えたかったためだ。年に2度、真東からのぼる陽が描かれた天子の顔を射す仕組みになっていた。
 「なぜ信長を討とうと思ったのか」と永徳は問う。  いつだったか、天主を見せてほしいと願ったが、信長は「ダメだ。儂を越えたら、見せてやる」と言った意味が、左馬助にはわかったのだ。

 永徳は、心血そそいで描いた屏風や絵が、どうなってしまうのかを心配する。

 が、城には炎があがってしまう・・・。



 玉木宏は、ルックス的にはイメージ通りです。安土・信長の館にある、宣教師が描いた信長像をスリムにした感じで、良いです。
 物語は面白いけれど、終盤のまとめ方はいかがなものかと思うのでした。琵琶湖を馬に乗って進むことの理由が、あまり描かれていないような気がします。





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