『世界・ふしぎ発見! 戦国信長ミステリー! 幻の安土城の謎』
【2009/08/29放送】




 久々の信長番組>_<;

 安土城が謎な理由。
 それは、地下1階、地上6階という巨大な建物だった、大柱(おやばしら)で巨大な建物を支える作りだった、ということしかわかっていなく、忠実に描かれた資料が残っていないことによる。

 防御のためではなく、信長の力を示すためだったという直線の大手道。
 周辺の石仏を利用するほど急いで作っていた、また、訪れる人に踏ませたという説もある、階段に埋め込まれた石仏。
 それらの案内の後、柱の跡がある、天主跡へ。
 吹き抜けがあったか否か、というのが論点になっているが、宣教師や家臣たちの記録には吹き抜けの記述はなく、吹き抜けはなかったという説が有力になっている。

 Q1:安土城築城で初めて使われたものは何か。
 A:瓦。

 大柱を使った天主がある建物は珍しく、現存しているものでは姫路城が唯一。
 姫路城も、地下1階、地上6階の構造をもつ。
 信長は、城というよりも宮殿として安土城を作ったのではないか。
 では、信長はどういう暮らしをしていて、何を食べていたか?

 鮒ずし。
 焼き味噌。
 濃い、しょっぱい味のものが好きで、京の公家が好んでいたものは口に合わなかった(という、あの、有名なエピソードが紹介された。また信長が乱暴な人に描かれていて・・・)
 味噌は、集中力・記憶力・免疫力・疲労撃退等いろいろな効用があり、養分が脳内に働くことで、当時は活気があったのだろうと、食文化研究家・永山久夫氏の言葉。

 Q2:安土城のできばえが素晴らしかったので、信長がやったことは?(三択)
 A:1.菓子を作らせ、自ら配った。2.舞を舞った。3.拝観料をとり一般人に見せた。→「3」

 なぜ安土に城が置かれたか。
 安土が交通の要所であり、京都に近く、岐阜・尾張にも近いから。
 その城に、天皇を迎えようとしていた、その天皇を見下ろす天主だった、自ら神としてあがめさせようとしていた、と末期症状的な紹介がされ、本能寺で倒れ、安土城も燃えた、と。

 Q3:信長が大切だと考え、旗印にしたものとは?
 A:お金。



 nakaji's note
 「火天の城」の映画が間もなく上映されるために組まれた特集。
 ぱっと見、いい人に描かれたのは、やっぱり悲しい^^;。

 なぜ永楽通宝だったかは、明らかになっていないはずだけれど。拝観料を取っていたという点からは関連づけられ、そういう説もあるか、と思う。

 永山氏の、「身体を使っていたから一日ご飯だけで5合は食べていたし、味噌を食べていたから、この時代は、味噌の成分が働いて笑いがあって、みんな笑んでいて、活気があったと思う」というコメントが印象的だった。現代でも、味噌汁で味噌はとれますね。早速実践しようと思います。





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