『日本の城ミステリー紀行SP 信長の夢 安土城の謎』
【2011/05/01放送】




 城の基礎と言われる安土城。
 寺院独占の石垣技術を、初めて、城に取り入れたり。石垣を枡形に形づくることで防御を強くしています。
 では、何のための安土城を作ったのか。
 大手道・搦手道(物資輸送)・七曲道(家臣の通り道)・百々橋(どどばし)口道(日常の道)という4本の道があるところに着目します。

 大手道が、使用目的がはっきりしなく、また、文献にも記載がありません。そして、城の入り口である黒金門までつながっていません。
 その謎は、本丸に隠されているようです。
 本丸の大きさが、御所の清涼殿と同じであることから、天皇を迎える場所としてつくったのではないか。つまり、大手道は、天皇を迎えるための道、行幸のための道だったのではないか。そこから、天皇を迎えるために、安土城を築城したのではないか、と推測している。

 信長は、天皇の威光を借りて輝くことをのぞんだのではないだろうか。

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 それもあると思います。
 が、その時期の信長にとって都に近いということと、越前・本願寺・尾張、琵琶湖周辺、と彼が押さえたい(押さえた)さまざまな場所から適度な距離だった、ということなのではないかと思います。
 尾張→岐阜→安土→その次は本願寺があった大阪を目指していたのか、都のど真ん中だったのですかね。

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 「信長は"天道"という言葉をよく口にしたんですよ」
 信長研究家として知られる黒鉄ヒロシ氏が途中から加わり、三津五郎氏と信長談義。
黒鉄氏の語り口が、殿と知り合いだったかのような感じ。ま、歴史好きな人にありがちなんですが(笑)。
 大河の「KING OF JIPANGU」でもよく出てきましたね。


 黒鉄氏が、信長の頭の中、という絵を描いていました。
 この絵がすごい! ちょっと憂い顔の信長の前後に、あるいはかぶさるように、いろいろなモチーフが描かれている絵。(クリスチャンラッセンみたいな色味がワタシの好みではないので)プロマイド的には持てないけれど、よくあらわされている感じを受けます。

 安土駅前にある「信長の館」には、天主が復元されています。天主内にはさまざまな地獄がきらびやかに描かれていて、また、色鮮やかです。
 殿が自分が描いている世界に向かって動いている満足感は持っていたはずで、しかし、家臣たちに詳細を説明してこなかったゆえ、起こった本能寺の変。天主内には、語りえない信長の思想を見せていたのではないでしょうか。
 黒鉄氏の絵を見て、余計にそう思いました。

 そして。
 天皇を迎え、天下布武(「戦を未然に防ぎ、平和な状態を広く行き渡らせる」)な世の中を作りたかったのだと、思います。
 ああ、惜しい人を討ったよ、光秀、、、。





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