雑記


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 *前に下書きしていたことなので、最近のことではありません。

 最近、グリップを長く持つ、というアドバイスもあって、やってみているのですが、安定感はかすかながら感じられ、わかるのです。落ちる腕の幅が少しなので。
 が、長く持つことでワタシの首・腕に負担がかかっているのではないか?という仮説。
 腕が後ろに開いて、下部分だけで振ることになり、下部分+キューを支えられる筋力が上腕にないので、上腕が非常に疲れる、と。キューを持つことすら「重い・・・」と感じられるようになる、と。
 そして、不安定になり、ぶれる、と。
 グリップを手前にすると、腕全体でキューを支えられる。けれど、腕が揺れる幅が大きいので撞点がズレる。(、のか?)
 ワタシの場合、上腕に頼れなさそうなので、腕全体に等しく負荷がかかるように、グリップの位置は変えずに、腕全体で安定したストロークができ・る・・・よう・・に・・・できないかなぁ???
 グリップを長く持つと肩甲骨が開かれるので、その方がむしろ良いのではないか?とは思ったりはするのですが。
 ブリッジを組む場所によって変えてみたりして、思考錯誤中。



 (集団ではなく、個に対する)試合観戦について。

 「Cビギ戦に出られなくなったから応援に行きますね」と行っていた人から、当日の朝、「遅く起きてしまったので残念ながら行けません〜」と連絡をいただきました。
 常日頃、「応援に行くって、すごいね」とそれ自体がすごいことのように、けれどどこか冷ややかに、言われていました。ワタシにとっては応援に行くことは超普通のことだったのですが、そんな知人の連絡を受けて、ふと、応援に行くということは一般的にはすごいことなのではないか、と客観的に見て、思うようになりました。
 もちろん、ワタシ自身が応援に行くことがすごいこととは思わないし、その人に応援に来て欲しかったという意味では全くありません(苦笑)。

 ちょっと無理してでも時間やお金を費やす動機をもてるかどうか。何かしらの価値を持てるか。
 友人のピアノの発表会を聴きに行くという行為も同じだと思いますが、その動機を持つきっかけは、やっぱり人の魅力(その人の特徴)、なんですかね。
 その、お金で買えないモノを持てるというのも、幸せなのではないか、、と。(←自分/笑)
 が一方で、応援という形をとった自己満足(自己愛)という気がしないでもなく^^;

 その競技が好きでその競技の試合であれば観に行くとか、特定の好きな選手がいてその選手の試合は観に行くとか、身内が大舞台に出るから観に行くとか、今注目の誰それが出るから観に行くとか、自身のプレイの参考にしたいから観るとか、応援の理由はいろいろとあると思うのですね。
 ワタシの場合、人への魅力(試合内容の魅力)、ですかねー。

 Cビギ戦に、戦わない上級者が付き添いで来るというのは、やっぱりスゴイことだな、と思うのであります。


2012/08/15



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