「普段通り」とは


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 今週、バタバタしていたり寒かったり疲れてしまったりちょっと気分下がってたりで、練習できていなく、また、練習いいかーと思ってしまい、やっぱりこれではいかん!と朝イチで練習に行ったのでした。
 久しぶりに撞くと、いろいろ気をつけるし集中力あがってくるではないですか。「あ、今、違ったな」とか「あ、腕がまっすぐでなかった」とか「こじった」とか、あるいは「厚み違った」とか、身体と頭との両方同時にわかる感じ。

 で、久しぶりに撞くといい感じにできてよし頑張るぞと上向いた翌日に全くできなくて落とされた感にイライラする、という現象に名前を付けたい。

 この久しぶりに撞いていい感じになるのは、なんですかね。そして、この気持ちで試合に臨めたらと思うのよ。けど、練習は「今の違った理由わかるからもう一度」と振り返られるけど試合は再現不可能だし。いろいろな条件が練習と試合とでは違うから、そもそもいつも通りになんて望んではいけないのかもしれない。
 でも、ワタシが気持ちよく撞ける感覚、久しぶりに練習しているあの感覚を、呼び起こせないものかなぁーと思うのよねぇ。

 なーんてことを練習後にツラツラと思ったのでした。





 このところビリヤードに対しての気持ちが変わってきたので、書いておこう。

 1)
 仕事がビリヤードに生きる、あるいはビリヤードが仕事に生きる、両方あるのかと思います。
 ワタシの業務内容とビリヤードの考え方は真逆っぽく違うので、仕事がビリヤードには生きていなく、むしろ足枷(笑)。けれど、ビリヤードに取り組んできて、モノゴトに対する考え方は広がりました。「あ、こういう考え方、前はできなかったな」と感じることが時々あり、それが感じられるようになったのです。考える源になっているというか。業務には全く生きないけれど、仕事全般とか人生には生きている。まぁ、どんんだけヌルイ生活を送ってたんじゃい、という話でもありますがね。

 2)
 めたくたにビリヤード場に入り浸っていたわけではないけどココまで来たのは「やっと」なのか「遅い」なのか、わかりません。
 ココというときのイレ力ないのは、費やしてきた時間からすればそりゃそーだの話かもしれない。
 でも、地上最強でもそうだったけど例えば試合で「あの配置をイレ倒したのね」というシーンに遭遇しても「イレで勝ちたい」とは思わないのです。それより、「あそこに出したのに入れないのダメやん」とか「あんなところに出したらそりゃ無理でしょう」みたいな自分の反省。
 時間を使わないとイレ力は上がらないし、イレだけに特化した練習もしないといけない。ここって時に入れないと意味ないじゃん!というタイミングも(試合には必ず)あるのだから。
 そしていろいろな撞点で入れる練習をやっているとダシも自然入っていくのだよね。



2016/02/26



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