常連会 第5回


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 この入れがだめだとその日けっこうダメ、という配置があって、とても見えづらいのです。
 それって、こじりと比べるとどうにもしようがなく、諦めるしかないのか、その配置にしない組み立てを考えるか、なのかしら。でも、一つの組み立てを避けられるほど引き出しが多くないし、できなくてもやるしかないから、その配置に普通にして(なって)、やっぱり入れられないという循環。
 厚みがみえなくなるのは救いようがない。
 感覚でも入れられるように、入れの訓練で補うのかね。


 じょじょに参加者は少なくなってきている感じが。
 上級者の方がやってくださる限りは参加します。
 が、「常連会ってそうじゃないの!」という広がり的な話を聞いて、むむーとうなってしまいました。
 ただ、今、誰かと約束をするということが難しい生活だから・・・。
 でも、だとしたら、ワタシのためにある常連会、よね。
 ワタシなりに活かす!、しか、ないです。他の人や一般的にはどう活かせるかなんてどうでもいいし、今の環境でできることをやるのみよ。


 (ビリヤード的)生い立ちが特殊なのと元々世間知らずなのとで、最近いろいろ教えられて、突きつけられて、なんか、もう、過去の自分に嫌気というか。過去のちょっとしたことにごめんなさい的な。
 そして、先生に教わるのが一番なのかも、とか。
 そうだよね、特殊なんだよね。今の環境がとても奇跡だし恵まれているのだ。(もちろん、わかってるけど。)
 先生以外に教わることって(環境的に)ないと思っていたから、上級者と撞いて何を得たいか、というのがないと相撞きの意味がないと。だとしたら試合に出るしか、ないんじゃないかねぇ。
 ワタシの考え方が特殊なのかもしれないけど、相撞きって、今どれくらい対応できるかの確認とか、予想外の対処方法を探る→後で検証→学習、の゛元を得る゛ところだと思ってた(る)。
 だから、自分が憧れる球(内容)を撞く人や身を置く場所に既にいる人に相手してもらいたいわけよ。得たいものがあるから。具体的に何を得たいというのがあるんじゃない、それをまた作るため、なのよ。
 わかってもらえないかね、、、。
 そしてその現象をみた時に、分析してくれる師匠が、間に必要なのだ。
 先生しか教えてもらえる人はいないのかも。
 そんなことを思ったりした一日。



2018/05/26