不幸な乖離


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 幼稚園児のころから社会人まで、運動と言われることをやったことがなかったワタシ。
 意外と、珍しい、らしい。
 だから、日曜日の朝から試合に行く、という経験は、持っていませんでした。(その代わり、部活は演劇部だったので、各種発表や地区大会、県大会に向けた稽古、なんてのはやっていました。ストレッチとか、一日に必ず身体を動かすことはやっていますけど。)
 だから、試合に出かける・戦うということがちょっと新鮮で、けれど一方で、「呼ばれるまで待って、試合して」という流れが前日からめんどくさくなることがよくありました。戦いたくないわけです。なので、めんどうくさくならないように気持ちを違う方へ持っていくのが、案外難しい。
 気持ちや感覚的な面で、全然トーナメントプレイヤーっぽくない。
 また、体力的な面でいえば、ビリヤードは誰でもできるとか、いくつになってもできるなんて言われるけれど、何かしらの運動の経験がない人がゼロからやるのは、大変です。むしろ、誰でもいつからでもできる、なんて簡単に言わないで欲しい。
 運動経験があれば、「あの感じのアレと似てる」と関連づけて、活かせるのだけど、そういうことが、ない。経験がない人に野球やテニスの例えは有効にならないですよ。
 力んでも無駄、なんて言われるけれど、運動をしたことがない人にはわかりづらい。
 運動経験がないから、「とにかくやる」とか「わからないけど身体に入れる」みたいなことが、できません。ワタシの培ってきたもの、仕事、つまり行動は、「これこれこういうことだから」という根拠が大事で、わからないけどやる、という発想がないし、わからないけど進めたら取り返しがつかない。(もちろん、わからないなりにやることもあるのだけれど、勘がちゃんと働く。)
 だから、そういうことか!とある時にわかってしまうと、そこからはスイスイ進められし、加速度的にできる幅が広がる。
 できちゃっている人は運動経験や運動神経が活きていることに、気づいていない。それどころか、できて普通、と思っちゃってる。「いいからできるまでやればいいんだよ」と簡単に言う。
 ここに、不幸な乖離が生まれ、分かり合えない狭間がいつの間にか深くなっているわけです。
 これが明確になってから、「ゼロからよくここまで来たよ」と自分に思うようになったし、開き直ったせいか、一段あがれた気がする。

 ワタシがラッキーなのは、これをお師匠がわかってくれたこと。



 プレイが良くなるとブレイクがダメになるという・・・なんで?
 前は、ブレイクだけは良かった(=取り切れない)のに。あのブレイク+今のプレイ、で試合したいよ、、、。



2018/10/14