あとがき








月刊ナカジン表紙へ戻る

織田信長 FAN BOOKのトップへ




 〜ナカジ的信条〜
 歴史にはまじめに取り組んでおります。
 事実と事実の間にある人の機微や、そこに流れていた感情などは記録には残らず、想像するしかありません。記録に残る事実よりも、事実と事実の間に流れる空気や感情が歴史を作っていると思うと、そこを想像することが楽しいのですよ。





 ■ 安如泰山(2010/09/23)

 現代によみがえった戦国武将でにぎわうコンビニって、良くないですか? そこだけ異様に霊力値(byミラ)が高い。そんなコンビニ、毎日行きたい。。。いや、それこそバイトするッ。
 えっと、秀吉×三成じゃなくてもいいんじゃね?というツッコミはナシで・・・。
 五大老、知ってんのか?というツッコミもナシで・・・。
 いや、ホント、信長×蘭丸では成立しないんです、コレは。やっぱり、ちゃんと、秀吉×三成なんです。
 隆景が亡くなるまでの五大老です。なので景勝は五大老ではないこと前提です。


 ■ 以心伝心(2010/08/21)

 ちゃんと「どうした?」と言ってくれるのがいいです。
 見るだけ・気にするだけ、という人もいるでしょうけれど。高坂とか兼続は言わなそうなのです、ワタシの中では。

 包丁で切ったのはワタシの話で、三成を代理人にして、妄想しました。
 切った傷口をじっと見ていたら、刀で斬られたときのような、昔そんなことがあったような、何か重大な記憶がよみがえってきそうな、そんな気配を身体に抱き、「ちょっ、も、もしかして、ワタシってば戦国武将の生まれ変わり?」なんて思いました。はい。

 この物語において(というか、ワタシが書いている秀吉×三成話全体において)、三成→蘭ちゃん、秀吉→信長という置き換えは、ワタシ的には無理です。
 ウチの信長×蘭丸はこんな形のラブラブにはなりません、、、。


 ■ 泰然自若(2010/08/19)

 秀吉×三成の続きもの、黒田官兵衛、です。
 四部作として、これで終了かな?
 秀吉×三成がとても書きやすい、本命(殿×蘭ちゃん)よりも^^;
 ツンデレ、デレツン、ほだされちゃう系がすっごく好きなんです^^;
 なのでまた書いてしまうかもしれません。

 「信長FAN BOOK」からはだいぶ離れてしまいましたが・・・。


 ■ 恋心/夢中/愛縁奇縁(2010/07/26)

 某地方紙で連載中の「真田三代」(火坂雅志著)、その316話に影響され、書いたもので、結果として3部作となりました。
 現代によみがえった秀吉×三成です。信長ラブなワタシには、秀吉がどんな亡くなり方をして、その時三成はどういう心境だったかということについて無知なのですが、ふんわりと知っているイキフンオンリー(=雰囲気のみ)で書いてみました。

 ウチの三成は乙女のツンデレ系です。

 秀吉が誰かを信じたいというのは、テーマなんだと思います。
 家康は家臣たちに愛されて育ってきて、それゆえ、家臣たちと相談する。信長・秀吉は生い立ちが生い立ちなので、肉親すら信じられず、しかし能力のあるものは使うという。
 そのヘンのことを、また、書き表してみたいです。


 ■ 黎明(2010/06/30)

 思い出したかのように^^;428回忌。
 物語自体は書いたまま放置していましたが、先日、真田の里を訪ねる歴史ツアーに参加し、長篠の話を聞いたところ、殿に会いたくなり、放置していたものを仕上げました。

 信長×蘭丸なのか、蘭丸×信長なのか、自分でもよくわからない仕上がりです。

 たぶん、マーケティング部に勝家がいます。


 ■ 陶酔

 (一応)戦国編。
 本文前にも書きましたが、途中から、無駄にヤオイです。初めての蘭丸×信長で、蘭丸はちょっとブラックです。
 今年の供養に出かけた際、ホテルで、寝る前に書きまとめたものです。
 蘭ママが信長様に蘭ちゃんを託した後、蘭ちゃんのお家で、蘭ちゃんが攻めなのが、個人的ポイントです。
 殿「其方、儂の供養のためにやってきたのではなかったのか?」
 ナカジ「エヘヘ」
 殿「何を考えとんじゃ」
 呆れ顔の殿v


 ■ 残像(信長公426回忌)

 戦国編。
 6月2日は本能寺の変で殿が亡くなった日。ナカジ的英邁物語。

 この馬揃えは、山内一豊が出世する(=大河で扱われる)きっかけとなったものです。
 また、実際に勝頼は援軍を送れず、送れないことで勝頼への信頼を崩すことを謀ったのが殿だったという説が強いです。篭城側の降伏を拒否するよう、家康に出した書状が残っています。
 この高天神城の負けが、その後の武田家を方向づけたのではないでしょうか。
 高遠城(長野・伊那)は桜が有名です。一際濃いピンクなのですが、信忠の攻め激しく、果敢に戦った仁科信盛ら篭城側の血がたくさん流れたからなのです。

 で、そんな謀りは、蘭ちゃんも考えていただろう、あるいは蘭ちゃんの画策を殿が取り入れたカモ?という妄想です。
 安土城址に行ったのでこれを書けたようなものです。殿と同じ風景を見られたので、感慨深いものがあります。
 ちなみに、当時は三方に湖があったそうだけれど、そのうち二つは埋め立てられています。

 次は、菅屋長頼を主人公にした話を書きたいです。あるいは、秀政と誰かを絡めたいのだけれど・・・しっかり者の秀政を愛しく想う誰か・・・。


 ■ 執着

 戦国編。
 ナカジってばチッちぇーと感じて作った、代理人=蘭ちゃん。。。

 冒頭の、1581年に脇差を与えたことは事実です。その、妄想裏話。こんなことがなかったとも言えないv。
 本能寺で討ち死にする前年なので、織田家絶好調の頃のこと。

 初登場の柴田勝家。蘭ちゃんが柴田を嫌っているわけではないのです。どこか馬が合わないというか、、、、勝家自体が他の人と合わなかったとも言うけれど。血気盛んな武闘派。
 勝家は殿が好きなので、二人に横槍をいれたがる。けれど、殿に対しては何もできないから蘭にあたっている、といったところ。

 信忠は信長のよくできた長男。信長から美濃・尾張を譲られ、1576年、岐阜城主となります。1582年武田征伐の際、総大将に。天目山の戦いにて、勝頼親子を自害に追い込んだのでした。後期織田家でかなり活躍した長男です。

 続き...
 「大方、殿が堀殿をお遣わしになったのだろう」、と秀政が去った後で蘭丸はつぶやいた。
 「全く・・・私は二人のとりなし役か?」と廊下で苦笑する秀政。
 信長×蘭丸←秀政、というわけではないです。


 ■ 春雨

 現代編。
 別のところに軽くアップしていたものをこちらへ移動させました。
 代理人=蘭ちゃん、です。
 ドーナツが食べたいのはナカジでした。。。


 ■ 彩花乱舞

信長「其方、また秀政を出しおったな」
ナカジ「名前だけですよぉ〜」

 現代編。
 見透かされている安堵感がちょっとでもあれば、わかってもらえない不安は解消されるのか。いや、見透かされている安堵感がある分、わかってもらえないちょっとの不安が最大級につきまとう。


 ■ 相思相愛

 戦国編。
 久しぶりのドリームで、ちょっと殿の性格が違います。でも、こんな子供っぽいのもいいかなと思いまして。。。
 傍から見たらバカップルですが、カップルなんてみんなバカップルな部分を持っていますから・・・。


 ■ 邂逅

信長「其方、秀政を好いておるか?」
ナカジ「へぃ・・・」

 戦国編。
 はい、堀秀政好きです〜。読んでもらうとわかりますか〜?
 秀政や長頼のようなやり方で仕事をしたい。蘭丸のようなやり方は、できないんだな・・・。
 信長と蘭丸しか登場しない『邂逅』の予定でしたが、全く違う展開になってしまいました。
 でも、これで一応、書きたかった三部作(四部作)は終わりです。
 ここからは、時代が前後するかもしれませんし、違った解釈で書くかもしれません。

 設定は、蘭丸の父(可成)が死んだ翌年、1971年くらい。
 しかしこの設定年において、仙千代が殿のご寵愛深かったのかはわかりません。資料的に仙千代が活躍していたのは1577〜78年、蘭丸が出仕する直前までで、設定年はそれより5〜6年も前なのです。
 仙千代が出仕したのはいくつの時かはわかりませんが、、、1971年には出仕し始めていて、頭脳明晰なことがわかった殿は、ご寵愛深い3〜4年を過ごすうちに外に出すようにもなり、1577〜78年に特に活躍がみえたということだろう、と勝手な推測で書いています。


 ■ 相克

 ようやく、信長様のページを独立させることができました。
 うれしい♪

 さて、『覚醒』からさかのぼった、戦国編。
 可成(蘭丸の父)が死んでしまうことをメインにする予定だったのですが、可成の死をめぐる背景は外せなくなり、そうなると「志賀の陣」全体を書かないと、、、と可成が死んでしまう部分は薄くなりました。
 大枠は史実ですが、細部は想像です。信興の側近、坂田甚兵衛は架空の人物です。資料がなくて、小木江城の最後についてもよくわかりません。。。。
 この頃の殿は本当に大変だったんだろうなと、書いていて思いました。見渡すところ敵ばかりで。大事な側近、可成を亡くしてしまうし、弟も死んでしまうし。
 顕如と信長の戦いは、理解しえないカリスマ同士の戦いだったのでしょう。それぞれのバックボーンは全く違い、譲ってしまうことはそれまでの自分を捨てることに等しいから、それはできない。
 この10年の戦いがなかったら、日本は今頃、国民の99パーセントが一向衆徒、みたいになっていたのではないでしょうか。極楽浄土のために自らを投げ出せるという何かを信じる気持ちは、どうしたって過激な方向に進みます。だからこそ信長様は戦ったわけで、まあ、殿が10年間戦ってくれて良かったのではないかなぁと思っています。
 それでも信長様は、本願寺を滅亡させることはできなかったのですよ。宗教を相手にするというのは、しんどいものなのですね。
 現代においては、滅亡させるという発想ではなく、理解しあうことは無理でしょうから、せめて「違う」ということを認め合うことができる世の中であってほしいな、と、、つらつらととりとめなく。。。

 ふと、カリスマ同士の、信長×顕如というCPはおもしろいかな、と思ったりして。おもしろいけど、やってはいけないCPだ、とも思います。あるとしたら、プラトニック。
-----
 『相関』

 「顕如よ。石山は明け渡せ」
 「お断りいたします」
 へびににらまれた蛙のような、怯えるような家臣の表情を見るのが常だった信長は、凛とした顕如の表情を見て「おもいしろい」と思った。
 「人々は極楽浄土を求め、日々祈る地を石山に求めており、私はその人々の気持ちに応えなければなりません」
 「極楽浄土、だ? そんな世界がどこにある!」
 「貴方様が信じる信じないは問題ではございません。信じること、それが私どもの信仰でございます」
 「極楽浄土など、誰も見てはおらぬ。まやかしを信仰などと大層な言葉でごまかしておるのではないか? 現世において人々を満足させられなくてどうする? 短い生を充分に生きずして、未練たらたらで死んでいくのはいかがなものじゃ?」
 「未練があったとしたら、阿弥陀さまが救ってくださいます」
 「救う? 其方は見たことがあるのか? 阿弥陀とやらを、見たことがあるのか?」
 「信仰のうちで、心に見るのでございます」
 「それは其方の都合ではないかっ!」
 「なんとでも」
 「おもしろいっ!」
 毅然と対面する顕如に、信長は不遜な笑みを浮かべた。  ...to be continued
-----
 続くのかっ?!
 続けるのか・・・。

 三部作の最後、にはなりませんでした。
 次回で一まとまりの予定。四部作、というのでしょうか。
 もちろん、それぞれ単品で読んでいただけます。

 ■ 秀吉と信長と蘭丸

 殿を格好よく描けなかったのが残念。
 世界遺産に登録されたことを、殿や秀吉は高いところからどのように見ているでしょうね。

 →公開アップしてから、笑える勘違いをしていたことに気づきました。「いくの」と「いわみ」が似ていて(マジ)。兵庫なのに島根?みたいな、ナゾなことを思っていたのよね・・・。
 もう直す気はないので、そのまま読んでやってください(笑)。
信長「其方、アホだな」
ナカジ「へぃ・・・」
 殿に言われると、ちょっと、ショック・・・。


 ■ 覚醒

 蘭ちゃんが殿に仕えた、天正7年4月ころの戦国・出会い編。
 天正4年2月には安土城に住み始めているので、蘭ちゃんは岐阜城を知らないのですね〜。
 天正5年には、まだ殿最愛の小姓・万見仙千代がいました。天正6年12月に戦死し、その後で蘭ちゃんが着任、といったところでしょうか。
 殿が蘭丸(後に力丸や坊丸も)を小姓として召抱えたのは、父親の可成が討ち死にしたことの責任というか、尽くしてくれた森家への恩返しというか、そういった気持ちです。
 殿は情に流される人ではなかったので、それだけ可成の働きはすごかったということだし、家督を継いだ長可の働きも良かったということだと思いますね。
 次回は、また時代をさかのぼって、可成が討ち死にする話(の予定)。『恋情』、『覚醒』、次回、と三部作(になる予定)です。難攻しており、きっと城攻めより難しい・・・(苦笑)。

 紋阿弥は架空の人物です。設定としては、「殿大好きで、蘭丸に嫉妬する同朋衆の一人」。
 同朋衆はいました。もともとは、室町時代、将軍の側近として美術工芸品鑑定・管理、茶事、雑役などつとめた、「阿弥」号を持つ方たちです。義満に使えた観阿弥・世阿弥は有名ですね。
 室町幕府を倒した殿なのに、将軍・義昭を追放した殿なのに、室町幕府がつくったといえる役職を身近に持っていたなんて、興味深いです。

 歴史にはまじめに取り組んでおります。
 事実はゆがめたくはないのです。しかし事実と事実の間にある人の機微や、そこに流れていた感情などは、記録には残らず、想像するしかありません。記録に残る事実よりも、事実と事実の間に流れる空気や感情が歴史を作っていると思うと、そこを想像することが楽しいのですよ。


 ■ 恋情(信長公425回忌)

 戦国編。
 6月2日、本能寺の変で、信長様はお亡くなりになりました。西暦だと1582年6月21日ですが、やはり、天正10年6月2日、です。
 実際の蘭丸は、岐阜・兼山などを信長から知行されています。
 蘭丸が仕えたのは、5年という短い時間です。桶狭間のころにはもう仕えていたかのように思われている感がありますが、蘭丸はまだ生まれてもいません。
 そのころの代表的小姓は岩室長門守、佐脇良之(前田利家の弟)で、その後、万見仙千代、蘭丸、と続きます。
 『信長公記』には、(桶狭間の戦いの際に一早く信長様に付き従った五騎のうちの一人!の)岩室がこめかみを討たれて戦死したときに信長様がひどく悲しんだとあるくらいなのに、なぜか小姓は蘭丸だけに焦点があたっています。江戸時代にそうなったようです。

 感想をいただけると嬉しく思います。

 次は、現代版を書きたいです。信長様が、ふつうに、そのヘンにいる格好いい現代人になっている、という設定です。


 ■ 花にかける夢

 戦国編。
 1月に、江戸東京展に行きました。そのレポは別冊にあるのですが、そこにチロと書いた安土城発見花瓶ドリームをふくらませました。
 最後にチューするのが目的かっ!?みたいな(苦笑)。ハッハッハッ。

 構想を始めた信長様ドリームは、最近観た映画に触発され、史実部分はちゃんとやろうと、いろいろ調べているので、ちょっと大変です。これは、蘭丸と利家の話。利家も元々は信長様の小姓だったの、それを蘭丸に絡めて。ちょっとヘビーです、書くのが。でも、ちゃんと仕上げたいので、がんばりまーす。そんなに多くの方はいらっしゃらないとは思いますが(笑)、楽しみにしていていただけると励みになります。


 ■ 新年茶会

 戦国編。
 クリスマス用に書いていたものですが、書き換え(笑)。


 ■ 月下(信長公命日記念)

 戦国編。
 下地になっているのは、1578年ころの話です。
 尼子晴久から家督を継いだ義久が毛利元就に降伏し、月山富田城を開城、尼子領がそのまま毛利領となりました。毛利によってつぶされた尼子氏ですが、家が完全にとりつぶされたわけではありませんでした。そこで、尼子氏の遺臣、山中鹿介によって尼子勝久(義久の子)が擁立され、尼子氏再興の動きがとられました。その尼子勝久を、信長は支援したのでした。というのは、毛利を押さえたいために。そして、そもそもは毛利氏は尼子氏の下にあったので、その地方の押さえに「尼子」という名前を利用したかったために。(ま、名前の威力は既になかっただろうけれど。)
 そうして勝久は、信長によって、備前・美作・播磨の国境に位置する上月城に置かれたのでした。
 そんなことが起きたちょっと前に、こんなことがあったかも(ぜってぇー、ないっ!)、というstoryです。やおい(山なし、オチなし、意味なし)話です。

 しかし何でいきなり毛利が出てきたのか、自分でもよくわかりません。
 信長様命日慰霊記念夢小説なのに、本能寺の変と何も関係ない・・・。


 ■ 桶狭間

 戦国編。
 桶狭間の戦いの時を舞台にしているので、『安土にて』よりずっと前の話。
 簡単年表ですが、13で古渡城に行き、元服し、15で結婚、18で家督をつぎ、22で清洲城をうばい、23で美濃攻め開始&弟信行を破る、27で桶狭間。
 このstoryは、(信長の年齢で)27→(回想:15→13くらい→15)→27、という流れになっています。って、こんな解説・・・。

 下克上の世の中、信長に限らず諸将たちは天文をたしなんではいたのだろうか? 信長について言えば、きっと何も信じはせず、自らの戦略のみを頼りにしていたに違いない。

 信長の妻になるくらいだし、濃姫は北条政子並に強かったと想像する。美弥も強いのだけれど。そして信長はロマンチストではなかっただろうけれど、こういう感じもいいな、と。


 ■ 安土にて

 戦国編。
 関西オフ(別冊参照)に行った際、移動中の車内で「蘭奢待(らんじゃたい)」のことを初めて聞き、そのときに頭の中で作ってしまった物語です。
 山岡版織田信長を読んで感動し、「ここに答えがあるかも」と思ったような場面を作ろうと書き始めたものの、導入部分に商業発達のことを書いている割には後に触れず、メインは、信長が肩を抱き寄せる箇所以下、になってしまいました。