花の戯れ
-----登場人物-----
美弥:大学生
橘逸勢:美弥の兄。大学生
空海:逸勢の同級生
-----時代設定-----
雰囲気は現代だが、逸勢(と空海(や最澄)が入唐する804年(平安時代)の話。
***
大学の構内には、いくつもの桜の木がある。
美弥はベンチに腰掛け、春を楽しんでいた。満開の桜がふわふわと風に揺れる様にため息をもらした。
「美弥さん」
「空海さまっ。あっ・・・」
空海が現れた途端に、強い風が起こり、桜の花びらが二人を包んだ。
「・・・すごいなぁ」
二人は、花びらが舞い散る中、たたずんだ。
風がおさまり、美弥は口を開いた。
「空海さま」
なんです、と空海は美弥の方へ振り向いた。
「空海さまも、中国に留学されるのですね」
美弥はとがめる風ではなく、自然に、聞いた。
「逸勢(、から?」
「はい・・・」
美弥は、空海が留学のために一週間後には渡航するということを、兄の逸勢から聞いていた。なぜ空海が自分から話してくれないのか、美弥にはわからなかったが、それ以上に、寂しく感じていた。
「逸勢は書家として文化を学びに、僕は釈迦の教えを学びに。行くからには、しっかり得られるものは得て戻ってきたい」
空海は、美弥の目を見て、そう言った。
空海が中国に行ってから5年の月日が流れた。その間も、春は毎年きちんとやってきていた。
卒業後も、美弥は桜が満開になるころには母校を訪ね、ベンチに越しかける。
この青い空を空海さまもご覧になっているだろうかと、空を見上げる。
「空海さま・・・空海さま・・・空、海、さま・・・」
声は彼の地へ届くだろうかと、愛しい名を優しく呼ぶ。
突然。
強い風が起こり、桜の花びらが舞い散った。
そして。
美弥の視界が閉ざされた。
美弥は自身の目をふさぐ手をつかむと、ふと、懐かしい香を感じた。
「空海・・・さま・・・?」
「あたり」
美弥は慌てて立ち上がり、後ろを振り返った。
「ど、どうして・・・」
美弥の目には自然と涙がたまっていった。
「休暇がとれて、久しぶりに帰国できた」
一粒、流れ落ちた。美弥の意志ではもう止めることはできず、とめどなく涙はあふれた。
「や、やだ・・・ごめんなさいっ」
慌てる美弥を見て、空海は目を細めた。美弥に近づき、前髪を優しくすいた。
「く、空海さまっ?」
「花びらが」
花びらを取り終えても、空海の手は美弥の髪の毛をさわっていた。さらさらと前髪をゆらし、肩まである長い髪の毛を五指ですく。サイドの髪の毛を耳にかけた。
空海にさわられていることに心地よさを感じはじめた美弥は、いてもたってもいられない気持ちを紛らすために、空海に問う。
「ちゅ、中国は・・・いかがですか?」
空海の手は美弥の頭を離れた。
「書を読む毎日。大変だけど、楽しい」
「あ・・・」
背に陽を受けて立つ空海は、後光がさしているかように見え、美弥は思わず声を出した。
「なに?」
「え、あ、いえ・・・空海さま、なんだかたくましくなられました」
「美弥さんは、きっと充実した日々を過ごしていただろうなと、思うよ。・・・きれいになった」
美弥の顔は真っ赤になった。
「た、たくましくなられた空海さまは、きっと後世に名をお残しになりましょう」
「僕より逸勢の方が、残ると思うね」
「お兄さまが?」
「彼の、能筆家としての腕はすさまじいよ。惚れ惚れする。彼は毛筆の手紙は送ってこないの?」
「お兄さまの手紙は、すべてワープロ打ちされたものです」
「ははははっ! きっと出し惜しみをしているんだね。日記でも恋文でも、明らかに逸勢の書いたものだとして後世に公開でもされたら、あの世で恥ずかしくて仕方がないだろうからな」
美弥も笑った。
誰かとの会話を、久しぶりに心から楽しんでいる自分に気づいていた。
この幸せなひとときは続かないのだろうか・・・。
美弥は恐る恐る聞いた。
「いつ・・・お戻りに?」
「・・・あさって」
寂しげにうつむく美弥を、空海は抱きよせた。
美弥は驚きのあまり、目を見開いた。
「美弥さん。・・・あなたはまた、僕を待っていてくれるだろうか」
「・・・わたしはわたしの道を歩きながら、空海さまを待ちます」
空海は、美弥のあごに手を添え、上を向かせた。涙の後が残る目元をこすると、美弥は目を閉じた。
空海がそっと唇を重ねると、美弥は力なく行き場のなかった両腕を、空海の背中にまわした。
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