(2)
澤田美弥と島田カンベエが出会ったのは、島田が部長として経理部に配属された数年前のことだった。
* * *
副部長の片山ゴロベエに導かれ、経理部のフロアに島田はやってきた。
早速生じている問題について、二人のやりとりはフロアに響いた。
「キャッシュディスペンサーの金額が合わないとは?」
「出金記録と残っている現金とが、いくら照合しても合わないのです」
カンナ・ヴィレ社では、取引銀行の虹雅銀行からキャッシュディスペンサーを借り受けていた。社員は外出しなくても自分の預金口座から出金や入金、振込みなどを行うことができ、機械は銀行本店とオンラインでつながっているためにそれらの記録はきちんと銀行で管理されていた。
現金の補充は、毎日、自社で行っていた。補充する際、機械内部に設置されている現金の出入金記録と現金残高とが合っているかを照合しているが、その照合に不都合が生じていると、片山は島田に相談していた。
島田はあごに手を添え、思案した。
「それ以上、帳簿を精査しても仕方がなかろう。機械の方を見てみよ」
「は?」
「キャッシュディスペンサーの内部を開けてみろ、ということだ。確か、この部には機械に詳しい者がおろうに。」
「はっ、早速! 林田ー!」
片山は島田の紹介をシチロージに任せると、工具一式を常にデスク脇に置いている林田ヘイハチを連れ、慌しく出ていった。
シチロージに紹介されている間、島田は自分に向いている一人一人の表情を見ていた。
その中に、島田がどうしても外せなくなったほどの強い目があった。敵対視されているような類の目ではないことはわかった。向こうでも、自身の視線を受けて外せない、いや、外そうとはしないのではないかと、島田は見ていた。
それが、澤田美弥だった。
その日、島田の歓迎会が行われた。
「飯がうまい!」とあらゆるご飯メニューを食べる林田、仲が良いせいかすぐに口喧嘩を始める菊千代とコマチ、女装して踊りを披露する片山など、ユニークな部員が揃っている経理部ならではの盛り上がった歓迎会だった。
島田の一言でお開きとなり、井の頭線の駅へ行く島田と澤田が、二人きりになった。
二人は、他愛のないことを話した。雑談に花が咲いたとはこのことを言うのであろう、と島田は気持ちが和むのを感じていた。
「澤田殿は、経理部に配属されてどれくらいになるのだ?」
「もう・・・7年ですね。あっという間でした。あっという間過ぎて、自分のやるべきことができているのかわからなくて・・・いけませんね」
そう言って、澤田は笑った。
「いや。・・・あっという間ということは、無駄には過ごしていなかったということであろう?」
島田は、違うか?という表情を澤田に向けた。
澤田は返事をすることもうなずくこともできず、ただ、微笑んだ。
企業人として百戦錬磨してきた島田は、澤田に興味を持った。
「芯の強そうな女性、ではあるな」
澤田の動きに注目してみると、実にてきぱきと行動する女性であることがわかった。指示が的確であり、報告をするタイミングは絶妙だった。
日ごろからよく勉強しているようにも、見えていた。
組織が大きくなると、自分が与えられた部分しか見えにくくなるものだが、澤田には全体を眺める視線があり、だから的確な判断ができるのだろうと評価していた。
休憩ルームでコーヒーを片手になにやら考えている風情の島田に、シチロージが話しかけた。
「カンベエ様、どうなさったのです?」
「いや、別に」
「ずっとカンベエ様のおそばにいますからね、わかりますよ」
「シチロージ、おぬし、何を言いたいのだ?」
「カンベエ様。澤田さん、気になりますでしょう? 彼女は入社して1年、事業部にいたんですが、そのときの活躍で経理部に配属されてしまい、以来ずっと経理部なんですよ」
「活躍?」
「えぇ。事業部の行う事業の利益率を軒並みあげるという活躍を」
「それでは事業部が離したくなくなるのではないか?」
「だから、会社として、欲しいのですよ。会社が利益率をあげるために」
「なるほど」
「カンベエ様が着任されてからというもの、彼女は伸び伸びと仕事をしていますねぇ」
「そうか」
「ええ。前のウキョウ部長からは、セクハラまがいの嫌がらせが多かったですからね。カンベエ様の下では、彼女も本来の力を発揮できるのでしょう。もちろん、ウキョウも基本的には彼女の好きなようにやらせていたと言えなくもないのですが・・・」
「・・・なるほど」
澤田は、片山と話をしながらフロアに入ってきた島田に惹かれた。フロアに入ってきた時の姿、声は脳裏に焼きつき、その場面の再生は頭の中でいくらでもできた。
刹那的に感じたものが何なのか、澤田は自分自身に対して説明ができなかった。
強い何かを持っている人。これまでの人生で培われた自信が、部長を強く在るようにしている。きっと。そして、その強さにわたしは惹かれるのだろうか・・・?
澤田は、歓迎会の帰りに言われた言葉を思い出す。
それは澤田を力づけ、また、喜びを感じさせた。
澤田は、時折、自分の頭と体とが一致していない感覚を持つ。忙しすぎて、頭では処理していくが体が重くついていかない、体は動くが思考がついていかないなど、その修正を行うために喫茶店に寄ったり、ショッピングを楽しんだりした。
どこか寄り道をしてから帰りたいと思った澤田は、ある場所に行った。
預けてある道具を手にし、幸いに空いていたために、いつもの場所についた。
そして、早速始めようとしたところへ、一人の男性が現れた。
「島田部長・・・」
島田は、キューを手にしていた。
「お相手願おう、澤田殿。3先でいかがかな?」
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