月下








 「お蘭。今宵、わしの部屋に参れ」

 重臣との評定後、信長は森蘭丸にそう言いながら広間を出ていった。

 「はっ」

 蘭丸は、既に主はいない上座に向かって面を下げた。










 夜半、蘭丸は信長の部屋を訪ねていた。


 「ということで、秀吉殿は姫路城に寄り、但馬にいる尼子勝久を呼びつけるつもりでおります」

 「毛利は抑えておかねばならぬからのぉ。・・・うむ、わかったぞ」

 脇息に頬杖をついていた信長は、重要な話は終わりだと合図するかのように、立ち上がった。



 「殿」

 信長の背中に、蘭丸は声をかけた。

 「ん?」

 「重臣たちの前で私にお声をおかけになるのは、お控えくださりませ。重臣たちは、好き勝手に噂をいたします」

 「ふむ・・・噂など勝手にさせておけば良いわ。そうしてわしを"うつけ"と言い続けたい奴は言えばよいではないか?」

 信長は口角をあげた。

 「重臣たちはまだ良いですが・・・奥方様に対して、申し訳がありません」

 「んん? 美弥か? ふむ・・・美弥は大丈夫であろう」

 「ええ、確かに、殿に対しては気丈でいらっしゃいますし、殿と私との間のことをどこまで信じていらっしゃるかわかりませぬ。が、いらぬ勝負をいどまれたり、敵対視されていることを思いますと、奥方様も平常ではないのかと思いまする」

 「ははははははっ!! さすがのそちも、美弥にはてこずっておるか?」

 「笑いごとではありませぬ。足をひっかけられたり、廊下を歩いていれば追い抜かれざまに"あっかんべー"をされたり・・・奥方ともあろうお方がなさることではありませぬっ」

 「それは美弥に直接言ってやると良いわっ。しかしな、思うに、美弥はそちを嫌っているわけではないぞ」

 「殿・・・奥方様と私との不毛な戦いが繰り広げられているうちに、仲が深くなってしまっても知りませぬぞ」

 「はははははっ! おもしろいわっ!」



 信長は大きく笑うと真顔になって言った。

 「お蘭。今宵、本当に床をともにしてみるか?」



 目を見開いた蘭丸の応えを待たずに、信長は笑みを浮かべて言った。

 「今宵はもう下がってよいぞ」

 「はっ。・・・失礼いたします」










 美弥は脇息に片腕を置き、蘭丸があげるであろう嬌声を想像していた。

 『殿方どうしというのは、どうなるのだろう・・・?
 そうだ、良い考えがある。これから、殿の寝所に忍び入ってみよう。さすれば、蘭丸殿の嬌声を聞くことができ、明日からはその言葉攻めができるではないか!』

 よし、とうなずいた美弥は、一人、廊下に出で、信長の寝所のある方へと足を向けた。



 『おかしい・・・』

 信長の寝所に近づいているのに、蘭丸の嬌声どころか信長の声すら聞こえないことを不審に思った。
 ふと、障子に写る自身の影に気づき、空を見上げた。
 月の光が白く、力強く、そして、まぶしく感じた。周りのさまざまなものが月明かりに照らされ、日常とは違う、眠っている人間が知らない世界がほんのひとときだけつくられているように見えた。
 美弥は、月明かりに魅せられていた。



 『蘭丸殿は、素敵な夜に抱かれておるのぉ・・・』



 みしり、という音で、美弥は現実に引き戻されたような気がした。
 振り向けば、そこには信長が立っていた。

 「殿・・・!」

 「かようなところで何をしておる?」

 「い、いえ・・・と、殿は、蘭丸殿とご一緒なのでは・・・?」

 美弥はしどろもどろになり、信長と目を合わせることができなかった。

 「美弥、答えになっておらぬぞ」

 そう言うや信長は美弥を抱きかかえた。

 「とっ、殿?!」


 信長は美弥を寝所に連れてくると、褥に仰向かせた。


 「わしとお蘭との色事をのぞき見しようと思うていたのか? ふむ、おもしろい趣味ぞ、美弥」

 美弥はじたばたしてみるが、信長に体を押さえられているために身動きがとれない。
 信長に見つめられている恥ずかしさから、視線は空を彷徨った。

 「お蘭をからかう材料にしようと思うたか?」

 信長には見通されているとわかり、じたばたする美弥の動きがとまった。



 「お蘭をあまりいじめるでないぞ。お蘭の代わりも、そなたの代わりも、他の誰にもできぬ」

 「殿方でもおなごでも、共にありたいか否かが大事なのは同じでござりましょう。それゆえ、殿が蘭丸殿をかわいがるのはいた仕方ありませぬ。ただ・・・つい、いじめてしまいますが・・・」

 「わしはお主しか抱かぬぞ。安心いたせ」

 信長は美弥のあごに手を添えた。
 そうして、噛み付くように、美弥に口付けた。





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