レンズの向こう側
颯爽と歩く男子学生。
その学生の行く手を阻まないよう、みなが廊下を開け、魔法にかけられたかのように動きを止める。
「素敵ねー」
「ほんとっ! ますますファンになっちゃうっ」
「素顔が拝めるなんて、生きてて良かったぁ!!」
「おいっ、初めて見るぜ!」
「オレ、青学来て良かったぁ〜」
学生が目の前を通り過ぎると、魔法がとかれたかのように、ザワザワと話が始まった。
教室に入れば、無意識に自分の席に向かう。かばんを机に置き、隣の席を見た瞬間、澤田は教室を間違えたかと思い焦った。
隣には、見慣れない男子がいたのだ。
「って、えっ、手塚っ?!」
そこには、眼鏡をかけていない手塚がいた。
「ねぇ、手塚、見えてるの?」
休み時間、眼鏡がない手塚は目つきが悪く調子が悪そうに見え、澤田は話しかけた。
「いや」
「いやって・・・手塚なら予備くらい持ってるんでしょ?」
「持っていないときに限って不慮の事故は起きるものだ」
「それはそれは・・・。あ、でも、外しても、マジで格好いいわよ」
「そういえば、澤田は外さないな」
「ん〜、そうねぇ〜、外すのは不二くんの前だけよ」
手塚は鼻で笑った。
「レンズ越しに見てるのが、何か嫌になっちゃうのよね。まどろっこしーというか。でも、外せば外したでぼやけるから、朧月夜みたいで、むずがゆいような感じなのよね。あ、わたしはみんなをあっと言わせる顔は持ってないわよ。手塚みたいな美形ではないから」
そう言って笑う澤田を、手塚はじっと見ていた。
その翌日のことだった。
「澤田。放課後、ラーメンを食べに行かないか?」
手塚から誘われた澤田は、即座には返答ができなかった。
誘われるくらいのことはあるにしても、ラーメンを食べに行こうと誘われようとは想像したこともなかったのだ。
「どうした? おごるぞ」
澤田の表情を手塚なりに解釈し、気遣った。
「い、いや、そういう問題じゃなくて・・・うん、オッケー」
それから放課後までの授業、澤田はうわの空で、「ラーメン」という点と「手塚」という点とを結びつけようとしていた。
ストイックな手塚。公私ともに厳格で、ラーメンをズズズズとすするようには見えない。ラーメンを食べながら、鼻水ずりずりし、汗をかく? 汗はテニスでしかかかないに違いない。
もしかして、れんげの使い方がとても正しくて、スマートに美しくラーメンを食べるのだろうか?
そもそも学校の帰りに飲食店やファーストフード店に寄ることはしないタイプではなかったか?
越前くんと桃城くんはチーズバーガー食べ比べをよくやっているけど。
不二くんとはときどきファーストフード店に寄る。ということは、不二くんとよく一緒にいる手塚も、ファーストフードに入ったことがある?!
・・・ま、手塚も人の子だから。
その一点に落ち着き、手塚とのアフタースクールを楽しむことに心を向けた。
手塚は気合が入っていて、授業後のホームルームが終わるや、「行くぞ、澤田」とかばんを持って教室を出ていった。
「あ、待って!」
澤田は追いかけた。
「と、ところで、どこへ・・・?」
「ついてくればわかる」
澤田には、どうして急にラーメンを?など聞きたいことはいろいろあったが、聞ける雰囲気ではなく、しかしなにやら、手塚にはラーメンを食べたいという強い意志を見ていた。
「ここだ」
手塚が片手でのれんをあげて入ったそこは、以前に澤田も入ったことがある店だった。
手塚の後に続いてテーブル席についた澤田が、店内をキョロキョロと見たりしないことに気付いた。
「不二と、来たことがあるだろう?」
「そうね」
「澤田は何にする?」
「辛みそラーメン」
「不二と同じだな」
「意思が通じ合ってるって言って」
不二を引き合いに出す手塚の意図が、澤田にはわからなかった。
しかし手塚に対して、何かごまかしたり嘘を言ったりする理由はなく、淡々と答えるのだった。
「すみません。辛みそラーメンと塩ラーメンをお願いします」
注文するやため息をついた手塚の姿を、珍しいと澤田は見ていた。
「手塚さぁ、何か相談ごと?」
「いや?」
なぜそんなことを聞くのかと、逆に問われているような顔を向けられ、澤田は戸惑った。
二人の前に、熱々のラーメンが出された。
「いただきまーすっ」
「いただきます」
澤田はまずはスープを味わった。それからこしょうやラー油を加え、ねぎとみそとを麺にからませた。
手塚もスープから味わい、何も加えずにラーメンを食べ始めた。すぐに眼鏡が曇ったために、ティッシュでふきとった。
眼鏡に構うことなく、もくもくと食べる澤田を見て、手塚は言った。
「眼鏡、曇らないのか?」
「この眼鏡、曇らないの」
「なにっ」
手塚には衝撃的だった。
ラーメンを食べる→眼鏡が曇る→澤田が眼鏡を外す→素顔が見られる、と計画していたのだ。
この後どう対処しようかと、手塚はれんげを持った手元をじっと見ていた。
そんな手塚の姿を見た澤田は、はっとした。
「も、もしかして、わたしの眼鏡とって素顔を見る作戦・・・?」
手塚の顔に、赤みがさした。
「ほい」
澤田は眼鏡を外し、手塚に笑みを向けた。
「別に出し惜しみするほどのものでもないしね。目的を知って外すとなると、ちょっと恥ずかしいんだけど」
手塚は呆然とした。
「いいじゃないか」
「は?」
「澤田はそのままで十分きれいだ。もっと自信を持つといい」
そう言って残りのラーメンを食べ始めた手塚を、澤田は見つめた。
「手塚の自信って、どこから・・・?」
「澤田は、自信を持っていいくらいの努力は日々していると思うぞ。自信を持たないと、自分がかわいそうだと、思わないか?」
「手塚って、そうやってテニス部員のいいところを引き出して・・・実は面倒見いいんだよね。だから部長なんだよね」
互いにくすぐったくなるであろう部分を突つき合い、ラーメンをすすり合うのだった。
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