桜蘭高校ホスト部 第1122話
「あら、おかえりなさい、お兄様!」
「ただいま、美弥。良いものを手に入れたから、後で私の部屋においで」
「はいっ」
鏡夜は妹の美弥に声をかけ、二階へあがっていった。
第一スタッフの橘は私室リビングを抜け、勉強部屋のいつもの場所に、玄関で預かったかばんを置く。鏡夜付きスタッフの中で橘だけが、それらへの入室を許されていた。
「ありがとう、橘」
「美弥様がいらっしゃるご様子で、何を用意させましょうか?」
「茶器だけ用意しておいてくれ。用意だけでいい」
「かしこまりました」
メイドが用意した茶器をワゴンごと預かった橘は、リビングのテーブル脇に置いた。
「それでは失礼いたします」
橘と入れ替わりで、美弥が部屋に入った。
「お兄様。今日は何を見せてくださるの?」
鏡夜はソファーに座るように促し、自らも美弥の隣に座ると、缶を手渡した。
「あら? これは・・・!」
「いつだったか、美弥がとても喜んでいたお茶だよ。缶も気に入っているのだろう? 偶然に環が持っていてね、奪っ・・・譲ってもらったのだよ」
「ありがとう、お兄様。だからお茶器の用意をしてくださっているのね。では、わたくしがお兄様のために、おいしいお茶をいれてさしあげてよ?」
「美弥のために持ってきたのに、美弥が僕に飲ませてくれるのかい?」
「ええ。お兄様はお茶はいれないでしょう?」
鏡夜は、ニコニコとお茶をいれる美弥を眺めていた。
鋭利な頭脳の持ち主、現実合理主義、メリットがあることにしか行動をなさない鏡夜は、妹の美弥には心を開いていた。
この鳳家にこんな天真爛漫な子が育つとは。
家の中でさえ、駆け引きが存在し、お互いの出方を伺う。一般的には息苦しいという言葉でくくられるのだろうが、生まれたときからの環境は、むしろこれが普通になっている。
そんなこととは無縁に、裏表なく育ってきた美弥の近くにいると、自然体でいられることに鏡夜はいつしか気づいていた。
「環様にお礼をさしあげないといけませんね、お兄様」
「ヤツにお礼なんていらないよ。あのアホに甘い顔を見せたらつけあがるだけだ」
「ふふふ。お兄様の口調が荒れてきましたわね。・・・どんな方にもお礼はした方がよろしくなくて? そうね・・・限定ポッキーなんて、いかがかしら? "北海道限定夕張メロンポッキー"をお取り寄せするのはいかがかしら? そういうの、環様、お好きでしょう?」
目の前にティーカップを置く美弥を、鏡夜はしばし見た。
「・・・美弥・・・なぜ環の好みを把握しているのだ?」
「国内のお出かけをしたときには、買ってきてさしあげることになっていますのよ」
「だから、なぜ?」
「環様がお好きだから」
「だから、なぜっ?! なぜ、美弥が環の趣味を知っているのだ?」
「環様とはメール交換をしていますのよ。お兄様、紅茶のお味はいかがですか?」
嬉しそうに笑う美弥を見て、鏡夜は呆然とした。
鏡夜が求めている回答を美弥から得られたわけではないが、鏡夜は何となくわかった。
この顔は、恋をしている・・・環にっ! 鳳家の人間が、須王家のヤツに心を奪われるとは!
しかしそれは、鏡夜も同様だった。環がフランスからやってきて中等部に編入してきた時から、自然、環のペースに巻き込まれていたのだ。
どこまで本気なのだ、と鏡夜は気になった。
環が特定の一人を定めてはいないことを、鏡夜は知っているし、また、政略結婚がうごめく世界において特定の一人を定めないことは当然であろうということもわかっている。あるいは、環の父親である桜蘭高校の理事長の胸の内には婚約者の候補くらいはあるかもしれない。そんな環を純粋に好きになってしまったとしたら、近い将来、美弥が苦しむことになるに違いなく、そんな美弥は見たくはないと思うのだった。
「環様は丁寧なご返事をくださるのですよ。誠実で、楽しくて。お兄様も、口調が荒れるくらいですから、楽しいのではなくって、須王家を継ぐであろう方と張り合いのある日々を送っていらっしゃって?」
美弥は全てわかっていた。
鳳家に、女性として生まれたことは庶民では考えられない不自由さがあり、美弥もまた、やはり普通には育ってはいなかったのだ。
鏡夜はそっと目を閉じた。
そして、美弥のペースにも、いつしか巻き込まれていることに思い至る。
鏡夜は笑い出した。
「お兄様? どうなさったのです? さきほどから考えこんでいらっしゃると思ったら、突然にお笑いになるだなんて」
「何でもないよ、美弥」
「ヘンなお兄様」
「紅茶はおいしいよ。ありがとう、美弥」
この妹が生きやすいためにも、三男ではあるが自分が鳳の柱になるのだと、密かに思う鏡夜だった。
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