二人旅
カンベエは、夏草を踏みしめ、先導するかのように、美弥の数歩先を歩いていた。山小屋までは、間もなくのようで、なかなか着かない。時折、美弥の息が荒くなる。
「もうそこだ」
「はい、カンベエ様」
美弥の声は明るかった。
一際急な斜面を登りきると、平らかな広場となっていた。本当なら奈良盆地を一望にできるそこは、夏草が成長し、うっそうとしている。木々は日差しを和らげ、風は汗をにじませる二人の頬を優しくかする。
「カンベエ様」
呼ばれ、カンベエは振り返った。
「カンベエ様は城跡をめぐり歩いていらっしゃるそうですが、なぜ、そうされるのでしょうか」
「城跡があるからだ。先人たちの無念、あるいは血気に想いを馳せるのだ」
「わたくしは、毎日、階段をのぼっております」
二人は、しばし見つめ合った。
美弥は、瞳をそらさずに、はっきりと言った。
「そこに階段があるから・・・」
「うむ。それで良い」
赤みがさす美弥の顔を眺め、カンベエはあごに手を添えた。
-----美しい。その姿だけでなく、心は清く、周囲を和ませることができる。何よりもその笑顔で多くの者が救われ、己もまた救われておる。
「カンベエ様・・・?」
カンベエの視線の中にある気持ちを捉えられず、美弥は気になった。
「あ、いや、なに」
美弥への気持ちをとりあえずごまかし、カンベエは山小屋の方へ向かった。
離れないようにと、その背中を美弥は追った。
カンベエと美弥が出会ったのは、半年ほど前のことだ。機械の武士である野伏りとの戦いをまた一つ終え、次の戦場へと向かうカンベエが立ち寄った村の茶屋に、美弥はいた。
明るく、元気に働く美弥の姿を見初めてから、カンベエは一人で茶屋を訪れるようになり、美弥がだんごと茶を載せた盆を運んだ際、カンベエの方から「共に飲もう」と声をかけた。
一旅人の申し出に、理由がわからない美弥は驚いた。床を共にすることを強要させられるのかもしれないと身構えた。茶屋の主人であるシチロージが助けてくれることはわかってはいても、卑しい視線を向けられることは、美弥にとって気分の良いものではない。しかしカンベエから受ける印象は違った。その真摯な目に惹きつけられ、美弥は思わず「はい」と応えていた。よく焼けた肌やがっしりとした背中に、何かを背負ってきた人生を感じた美弥は、それからというものカンベエとのんびり話をすることを楽しむようになった。
会話の内容は他愛のない、日常的なことだが、カンベエの持つ哲学に美弥は惹かれていった。
いつからかカンベエの姿を探すようになっている自分に、美弥は気付いた。
今、カンベエは、茶屋で使う薬草をとる美弥の護衛として山に入っていた。
最初は、シチロージがその役目につく予定だったが、美弥の気持ちを察したシチロージとユキノの企みにより、カンベエが護衛についたのだった。
二人は、夜を明かすための山小屋へたどりついた。
美弥は、山小屋という狭い空間で二人きりになれるのが嬉しい反面、少しずつ高ぶる気持ちの処理に困窮した。
一休みすると、カンベエは美弥には山小屋にいるように言い、火を焚くための木を探しに出かけた。
美弥は土間に座り込み、カンベエが出ていった方をじっと見つめる。
-----こんなに近くにいるのに・・・遠い・・・。
『時には自分から行動に出ないと始まらないこともある』---旅立つ前にユキノから言われた言葉を、美弥はかみしめる。カンベエに対する美弥の想いを察した餞別の言葉をもらっていたが、美弥には、どうしたらよいのかわからない。
「カンベエ様・・・」
抑えられない気持ちを言葉に出せば紛らわすことができるかもしれないと、つぶやいてはみるが、かえってカンベエへの想いは募るばかりだ。
「カンベエ様。・・・カンベエ様。・・・カンベエ様っ・・・」
すっと現れて抱きしめてくれるのではないかという淡い期待をもって、美弥は何度でも愛しい人の名を呼ぶ。
「カンベエさま・・・」
しんと静まりかえっている山小屋には、美弥の小さな声が響いた。
「さきほどから、わしはそなたに呼ばれておるな」
突然扉があき、驚きのあまり美弥は身動きができなかった。
「カ、カンベエさまっ! ど、どうしてっ?!」
「なぜ熱くわしを呼ぶ?」
美弥は恥ずかしさで顔を真っ赤にした。
カンベエは、 動くことができないでいる美弥の正面にひざまずき、美弥の頭を胸に抱き寄せた。
「カ、カンッ・・・!」
「そなたの熱い声が、わしの心を溶かす」
抱き寄せられて初めて、美弥は、カンベエのにおいを意識した。それはこれまでにかいだことのないにおいで、カンベエを異性として初めて意識させるものだった。
カンベエの腕の中にある幸せを感じた。長い髪の毛が肌に触れれば、体がしびれた。髪の毛をすく手のぬくもりを感じていた。
美弥の心にはユキノの餞別の言葉が響いていた。
美弥はカンベエの背中に腕をまわし、抱きしめる。背中をなでる。
「カンベエ様」
「ん? なにかな?」
「口付けしてもよろしいですか?」
「うむ」
美弥は小さな両手でカンベエの頬に触れ、自ら唇を押し当てた。
「カンベエ様と一緒に居とうございます」
「わしも、そなたと共にありたい」
「カンベエ様、ぎゅっと、強く抱きしめてくださいますか?」
「うむ」
カンベエの腕の力強さを、体温を、美弥は感じていた。
「わたくしの全てを捧げます」
「そなたからばかり、もらい受けておるな」
「あっ」
美弥の視界が反転した。
床に寝かされる形となった美弥の目は、大きく見開いた。
「美弥」
初めて名前を呼ばれ、美弥はドキッとした。
カンベエは美弥のあごに手を触れ、唇を重ねた。屈強な理性がくずれそうになるくらいの心地良さを感じ、ついばむように美弥の唇を奪い続けた。
美弥の足が、ヒクと動いたのを、カンベエは見逃さない。
カンベエは唇をそっと離すと、美弥の頭をなでた。
「感じているか?」
美弥の顔は羞恥で真っ赤になった。
「気持ちが良ければ良いと、言ってみよ」
美弥は、カンベエの情熱的なキスに興奮を覚え、くすぐったいような、体の芯が熱を持つのを感じていたが、羞恥から、カンベエの問いかけにはうなずくことすらできなかった。
「そなたから素直に言われればわしも嬉しいぞ。しかし・・・」
カンベエは言葉を切り、あごに手をあてた。
「・・・カンベエ様?」
「まだ、口づけ以上のことをしてはおらぬが・・・」
そう言ってカンベエは口端をあげて微笑んだ。それは美弥が好きなカンベエの表情の一つだが、恥ずかしさのあまりじっと見ていることもできず、美弥は顔を横に向ける。
カンベエは、美弥の襟のあわせを留めている紐に手をかけた。
山小屋の夜は長い・・・。
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