序奏(SECONDO)








 今日は暖かい。
 背中にあたる陽射しが気持ちいい。
 このカデンツ、好きなんだなよな。
 あ、澤田サンだ♪



 両親が音楽関係の仕事をしているせいか、物心ついたときにはピアノが弾けるようになっていた。テニスはもちろん大好きなんだけど、ピアノも好きで、ちょっと時間ができると音楽室で弾いていた。第3音楽室はコンサートピアノが2台置かれている。いつだったか、跡部部長が入って来た時にはびっくりした。隣のピアノに座り、僕が弾いているのを聴いてくれた。終わると、こう言ったんだ。

 「鳳。これ、いけるだろ?」

 部長はモーツァルトの連弾曲を弾き始めた。
 5小節めから僕がSECONDOとして弾いて、それはとても気持ちよかった。一曲終わったときにはとても興奮していたことを記憶している。
 跡部部長が入ってきたように、澤田サンも入ってきてくれないかな、っていつも思う。

 澤田サンは、僕の演奏を聴きにきてくれる。でも、いつも廊下で聴いているだけで、顔を見せてくれないし、感想も聞けない。
 最初は、いつも誰が聴いてくれているんだろうって、思ったんだ。ある日、授業のチャイムが鳴ったせいか慌てて廊下を走っていく後ろ姿を見たんだ。
 澤田サンは、テニス部のマネージャー。同じ学年だから、何かと一緒にいることがあった。勉強を教えてもらったことだってある。一緒に帰ったり、ちょっと寄り道してアイス食べてったり。そうして普通に話していたはずなのに、ピアノを弾く僕には気づいてくれない。ピアノを弾く僕を知ってほしいんだけど。声、かけてくれればいいのに。
 表情がコロコロ変わって、かわいいんだよな、澤田サン。彼女は意識していないんだろうけど、じっと見られると、グッとくる。その目を細めて笑う顔も好き。まじめで、一所懸命で、だからときどき不器用になるところも、好き。

 ふっと指が止まった。
 僕は立ち上がり、入口の方へと歩いていた。そして、扉を開けた。

 「おっ、鳳、くんっ・・・!」

 相当驚いたんだろうな、澤田サンの目が見開いていた。

 「ど、どうして・・・」
 「最初は、誰かが聴いてくれているんだなって軽い気持ちだったんだ。でも、本当によく聴きに来てくれるから、僕も気になってた。いつだったか、チャイムが鳴って澤田さんが慌てて走っていったときに、廊下に出て後姿を見たんだ。声、かけてくれれば良かったのに。部活では普通に話せているのにね?」

 じっと僕の目を見る澤田サンの目に、僕がいるのを感じていた。

 「僕はずっと好きだったよ?」

 澤田サンも僕を想ってくれているんじゃないかな、と思い切って言ってみた。不器用さんには、こっちから切り出してあげないと。

 「お、お、鳳くんだったんなら、最後の1ピースがはまって、パズルができた・・・・・・感じ?」

 なんで疑問形?と一瞬思ったけど、そういう自信なさげな澤田サンが好きだから、もう、抱き寄せていた。

 嬉しいナ!
 澤田サンが僕の腕の中にいる・・・。

 「世の中って、狭いね」

 ピアノの音色と僕とが重なったことが信じられないといったふうで、おもしろい言い方をした。

 僕は、聴いてくれている人、マネージャー、好きな人、全部澤田サンだったんだけどね。
 澤田サンを音楽室に入れ、僕はまたピアノを弾いた。澤田サンのために。

 「エルガーの『愛の挨拶』」
 「そう。澤田さんを想って弾いたよ」

 澤田サンが顔を赤くして満面の笑みを浮かべた。
 かわいいな♪
 澤田さんがピアノを弾き始めた。
 『カノン』・・・。
 このコードを使った日本のポップスは多い。『パッヘルベルのカノン』のようにゆっくり演奏すると郷愁を誘うような、穏やかな気持ちになる。ポップスのようなアップテンポな曲になると、幸福感に満ちたような、明日への活力を感じるような曲になる・・・。
 僕はSECONDOを弾く。
 明日からの日常が楽しみだナ。





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