NO MORE TEARS








 物に疲れたとき、美弥の足は自然、音楽室へと向かう。
 ふらふらとした足取りでグランドピアノまでたどりついた美弥は、椅子をひく。普段なら音を立てないように気をつけるが、今はズズズと汚い音をたてている。
 椅子に座り、ピアノの蓋を開けると、ため息をついた。弾きたいようなどうでもいいような気持ちの美弥は、しかし一音だけ軽くたたいてみた。


 黒い影が視界に入り、美弥は入口の方を見た。

 「跡部・・・」

 美弥がマネージャーを務めるテニス部部長であり、同じクラスの跡部景吾が、腕を組んでドアに寄りかかっていた。

 「澤田。レベル、下がったんじゃねぇーか?」
 「え・・・」
 「状況に甘んじて、必要な手を打ってこなかったんじゃねぇーのかって言ってんだよ。テメェの見栄っ張りはその程度だったのか? アーンッ?」


 美弥は目を瞠った。
 見抜かれていたことを感じ、恥ずかしさから顔を赤らめた。

 美弥は、常日頃、影で努力をしていた。それは、努力している姿を見られたくはないという謙遜の気持ちが入った美徳ではなく、「できる人」を演じ憧憬と敬愛の目で見られることを狙った見栄の気持ちからであり、それゆえ、努力をしている様子を人から察せられることを嫌い、それを隠していたのだ。周囲の人間が美弥を称えることは、美弥が決してスムーズに行っていたものではなく、影練習の賜物だったのだ。

 その影練習を怠っていたことのみならず、影練習の裏にある美弥の気持ちをも指摘され、やや呆然とした。

 跡部は、例えば100あったものが70くらいに落ちているということを指摘していた。
 雑用に追われる日々の中で、その雑用を理由に、美弥自身が行うべきことについて「できていないな」という認識はあった。自分を創ることにも疲れを感じ、そのまま気を抜いてしまった。
 レベルの下降最中には感じにくいが、30くらい下がれば嫌でも自分でわかるようになる。しかし、今回は跡部の指摘によって気づかされた。
 愕然とした。
 下がったことを気づいた後で指摘をされる分には良いが、他人から気づかされるのは、美弥にとってはどうにも屈辱的なことだった。下がった分は他人に気づかれないうちに挽回していたかったのだが、事態はより深刻になっていることを強く思わされた。

 「まぁ、テメェは、そこからちゃんと這い上がってくんだろう?」

 跡部は美弥の自尊心を刺激する言葉を投げる。

 美弥の影練習は立ち止まっていることはなかった。そしてそれは平地を歩くのではなく、あえて岩のある険しい道を選び、しがみつきながら進むという作業を必要としていた。だからといって屈強な印象を与える女性ではないために、跡部のような人間には見破られることになる。

 美弥は、泣きべそをかくようにして、うなずいた。

 「要領ワリィがそれで得たもんは、テメェの実力だろ? それで勝負してんだろ?」

 不器用さを表出させることを容赦なく言う。

 「オレ様が見ていてやるから安心しろっ」

 跡部が出て行ったドアをしばし見つめ、美弥は立ち上がった。





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