「父上ーーーーーーーーっ」

 少年は、宇佐山城で討ち死にした父親の体にすがりつき、泣いた。
 幼いゆえに父親の死を把握できないのか、あどけない顔をする弟たちを見て、こぶしを強くにぎった。



 間もなく、少年のすぐ上の兄が家督を継ぎ、少年は書物を手にするようになった。

























邂逅









 反信長包囲網をしかれ孤立無援となる状況は、敵に内応しようとするものが現れたり、家中によからぬ騒動が生じるが、近江地方の守備として配置された各武将は、そこをよく支えた。森可成が討たれた後に宇佐山城へ入った明智光秀、安土城の中川重政、長光寺城の柴田勝家、佐和山城の丹羽長秀、横山城の木下藤吉郎といった面々で、琵琶湖を囲むように配置された彼らは、懲罰は厳しく、しかし軍功報奨はおしみなく、また、食料に事欠くことないように心配りをした。
 岐阜城では、菅屋長頼ら重臣が家中に目を配っていたが、次世代の担い手として期待され近習になっていた堀秀政、長谷川秀一らの活躍が目に見えるようになっていた。
 堀秀政は、16歳で将軍・義昭の宿所の整備を担当して以来、信長の秘書官として働いていた。常に七十点をとり続ける堅実な事務能力と朗らかな人柄に、信長の信頼は厚かった。
 後に、雑賀攻め、摂津有岡城攻め、伊賀攻めなどの各作戦に参加し、治者としての器と戦場における大将としてのそれとを兼ね備えた武将へと育ってゆく。



 浅井攻めの軍議を終わらせ、すっと立ち上がった信長は、大広間を後にした。キビキビとした動きにはいらつきが見え隠れし、その表情は硬かった。
 これから攻めようとしている浅井家の現当主・長政には、妹の市が嫁いでいた。信長の胸には市を送り出した時のことが昨日のことのように去来した。「子をたくさん生め」という言葉に市はしっかりとうなずき、四人の子供をもうけた。浅井家と刃を交えないための婚儀だったはずだ。しかし、隠居した長政の父・久政の力は強く、久政が朝倉との結びつきを強めれば、長政はその意向に従わざるを得ない。
 不甲斐ない男よ、と心中では思った。
 浅井を攻めなくても済む方法はないかと思案する一方で、これは戦であると、民・家臣を背負う当主としての冷酷さで計算をしてもいた。

 堀秀政は、自室に戻った信長をたずねる途中で、うめくようなおかしな声を耳にし、素早く声のする方へと走った。
 「仙千代っ!」
 信長の寵愛を一身に受けていた小姓、万見仙千代重元がごろつきに拉致されようとしていた。
 秀政はごろつきに殴りかかり、仙千代を引き離した後、刀を構えた。
 「誰に言われた?」
 「万見殿を土産にしようと思ったまでだ」
 「くだらぬことをっ!」
 斬ってかかろうとしたが、態勢が不利であることを察した相手が逃げ出す方が早かった。
 「仙、大丈夫か?」
 「かたじけない」
 「怪我はなかったか? どこか擦りむいたりしていないだろうな?」
 秀政は、3つほど年が下の仙千代を弟のようにかわいがっていた。土埃を払い、体を確認するように上から下まで眺め見た。
 「な、なにを、堀殿?」
 「ばかっ! 小姓の其方に傷があったらどうする? 仙に傷があるということは殿に傷が生じるということと同じだ。それに、殿がご心配なさる」
 「・・・ありがとうございます」
 「全く、お味方の窮地に、ここぞとばかりに突いてくる輩はどうしようもないな。あいつらはもうここへは戻れんだろう。だいたい仙の体と引き換えに待遇を得ようなど、浅はかな考えだ」
 仙千代は、秀政にされるがままに立っていた。
 「よしっ」
 「堀殿・・・私に剣を教えていただきたい。堀殿のように強い武士になりたい」
 「何を言うか。お前は殿のおそばで手足となっておるのに、戦場に赴いて殿の御身を離れてどうする?」
 「しかし、今のように襲われては」
 「ばかっ。だから殿が守ってくださるんだろう? 殿がご不在なら、俺が守る」
 仙千代は秀政を見つめ、みるみる目を丸くした。
 「お前は単に殿の慰み者としてあるわけではないぞ。殿は仙に目をかけておられる。その証拠に、仙は使い番もやっていよう? 能力があって、なおかつ家中のことを任せられる者でなければつとまらぬ。仙は殿をお支えし、殿は仙を守ってくださる。小姓であることは誇れることだ。それを忘れるな」
 目をパチクリとさせる仙千代の鼻をつまみ、じゃあな、と秀政は信長の部屋へ向かった。



 信長の気が休まる時はなかったが、遠乗りには出かけていた。風を切って走ることは幼少期からやっていたことで、こうすることで何かを思い出すような、自然に帰るような、気分が切り替わることを知っていた。
 川沿いを走っていた信長は、草むらの中にある人影に気づき、近寄った。
 馬を下り、「其方・・・なんだ、子供ではないか」
 薄い色の双眸に冷厳さを感じとったのか、少年は後ずさんだ。
 おびえるような目を向けられ、信長はため息をついた。
 「とって喰ったりはせぬ。かようなところで何をしておる?」
 「書を・・・」
 「書か?」
 信長は少年の脇にある書物をめくった。
 「・・・兵法か。剣の稽古はせぬのか? 儂が相手になるぞ」
 「戦は好みませぬ」
 「好んで戦をするやつはおらぬぞ」
 「誰かが悲しむのは嫌です」
 少年の強い、射抜くような視線を受け、信長は目を細めた。
 「・・・良い目をしておるな。かかってこい」
 そう言って信長は太刀を少年に投げ渡した。
 少年は反射的に受け取っていた。戸惑いを見せたものの、構えると、信長に討ってかかった。
 「やぁー!」
 やみくもに振る太刀だが、その型に、信長は既視感を覚えた。
 「そう親の仇のように振るでない」
 そう言って少年の振る太刀をはじいた。
 「あっ」
 太刀が空に飛び、信長が振る脇差の剣先が、少年の喉元で止まった。
 着物の襟を少し乱した少年は、眼前に立つ男を呆然と眺めた。
 「書を読み、戦わずして勝つこともまた戦じゃ。しかし、大切な者を守るくらいの武力は持てよ。其方、武家の子供であろう?」
 「父上はもういません」
 「其方、名は何と申す?」
 「森・・・蘭丸と申します」
 信長は瞠目した。
 太刀の振り方には型が出る。中途半端ではあるが、強さを誇示せずにひそめている型を見て、やはり、と思った。
 「兄弟はおろう?」
 「兄と弟たちがいます」
 「ならばその弟を守るためには、其方が強くならねばなるまい? 其方の父は何かを守るために戦ったのであって、好んで戦をしていたのではあるまい」
 信長は志賀の陣で失った股肱の側近、森可成の顔を思い浮かべた。
 「守るべきものを見据えよ。おのずと道は開けよう。いずれまた会おう。その日まで、おおいに励めよ」
 信長は、いつの日か森蘭丸を召し出すことを心に決めた。



 岐阜城に戻った信長は、仙千代が襲われたことを聞き、早速仙千代を召し出した。
 「ご心配をおかけいたしまして、申し訳ござりませぬ」
 「其方が無事で良かった。秀政が、警備を強化すると申してきおった。頼もしいの」
 仙千代は恥ずかし気に下を向いた。
 「仙千代。近う」
 差し出した腕に仙千代が触れるか触れないかで信長は手首を返し、仙千代の腕を引いた。バランスを崩した仙千代は、信長の胸の中へとなだれかかった。
 信長は、仙千代の不安を包みこむように、抱きしめた。
 「何を迷うておる? 其方と秀政とでは、目指すところは同じでも在り方は違うぞ。秀政のような武力が其方に決して必要なわけではない。適材適所と言うだろうが」
 その言葉は、仙千代の胸にストンと落ちた。
 「其方は最後の砦じゃ。だから、儂が守る」
 「殿・・・」
 「役目だけではない。儂は其方を手放せなくなっている」
 信長は頬に手を添え、口付けた。





*   *   *


 こののち、仙千代は、内政から外交まで、目覚ましい活躍をみせるようになる。
 信長の身の回りの世話はもとより、作戦の検視役、その報告、接待役、書状の副状発給など、落ち着く暇がないほどだ。しかし、天正6年(1578年)、荒木村重が篭る有岡城攻めにおいて、あっけない最期を遂げる。
 信長はひどく悲しみ、荒木村重の掃滅を決意する。後、荒木一族は女子供にいたるまで皆殺しにするという残虐さを見せる信長だが、そこには仙千代を失った悲しみも加重されていたのかもしれない。





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