彩花乱舞








 西暦2007年。





 蘭丸は現世での名を沢井光基と言う。
 イタリア製スーツが良く似合う細身の身体で、欧米系のハーフかと思わせるカーリーヘアーが印象的なのか、すれ違いざまに振り返る人は多かった。
 蘭丸が現在の宿体に魂を持って二十五年、これが何度目の転生になるのか、よくはわかっていない。いろいろな時代で、何回か十代を過ごし、彼が生きてきた、あるいは知らなかった時代を後世の人の目で学習した。「それは真実ではない」と思わず口走ったこともあり、これほどいろいろな時代を生きてきた者は他にはいないと自信を持って言うことができたが、どの時代においても、蘭丸が心の底から満たされたことはなかった。
 宿体が胎児の時に魂を置き、魂の静養をさせつつ成人した後で、蘭丸は選んで秘書タイプの職業に就いていた。
 主君であった信長は、誰かの下で働くという種類の人間ではなく、転生した場合にも才能はずば抜け、その存在は抜きん出る。トップの近くで、多くのトップと接しながら復活を信じ、信長と再会できればすぐに鞍替えする気持ちで動いていた。
 現在、音楽出版社の社長秘書として過ごしていた。音楽出版社とは、作詞家や作曲家によって作られた曲について、著作権の管理やプロモーションを行う会社のことだ。
 権利ビジネスとはよく言われる。曲が使われ続ければ著作権使用料収入があるが、その収入で企業の運営ができるのは限られたアーティストの曲に限る。あるいは塵も積もれば山となる、ということわざ通り、量を持つ、ということになる。マネジメントの観点で言えば、唯一の曲に依存するよりも多くの曲を持つ方が中期的には有効で、蘭丸が勤める会社もかなりの曲を保有していた。
 「しかし煩雑だな」
 蘭丸は毛先を触りながら、積まれた契約書類を横目につぶやいた。
 曲ごとに契約は異なり、その契約通りに著作権使用料を作詞家や作曲家といった権利者に分配する仕分けが必要だ。各権利者に支払う期限があり、それまでに計算書類を整えなければならない。そしてこれは、秘書の仕事では全くないのだが、事務能力に長けていることに気づいた社長が適任と蘭丸に渡した仕事だった。蘭丸は好んでやっているわけではなく、きっちりやる性分ゆえ、期待に沿う形となっている。
 『少数精鋭を地で行くのはいいが、量が絶対的に足りないのはどうにかならないものか・・・。』
 質は大事だがともすれば観念的になりがちで、兵力数、つまりスタッフ数があることも大事だ。蘭丸は充分な兵力がなかった本能寺を思い返し、また、悔やんだ。何かと言うと本能寺に結びつけてしまうのは、全ての情報を魂に残して転生し続けているせいかもしれない。
 『こういうことは秀政殿ならばお得意だったろうな』
 蘭丸は近習の大先輩となる堀秀政の、大局を見つめしかし細かいことにぬかりなく、むしろ網の目のような細かい作業こそ楽しんでいた仕事ぶりを思い起こした。
 「沢井」
 打ち合わせ中だった社長が会議室から出てきた。
 「田淵さんとアポをとっといてくれ。一週間以内に会いたいから、日程は任せる。それじゃ、出かけてくる」
 「はい、承知いたしました。いってらっしゃいませ」
 蘭丸は手帳を開いた。作詞家のマネージメント事務所社長をやっている田淵氏とは旧い付き合いで、方向性は違うが互いに良い意味で引っ張り合っている仲であることを蘭丸はわかっていた。候補日程を二、三、頭に挙げ、記憶している電話番号を押した。





 6月4日は本能寺で信長が倒れたとされる日で、蘭丸は有給休暇をとり京都に来ていた。
 今や一帯は高校や老人ホーム、消防施設となっているが、蘭丸は、本能寺のあった場所に正確に行くことができた。
 信長と別れた場所は、ちょうど民家の庭になっていた。催眠術を使い、また、結界を張り、一時的に住人の視界に入らないようにし、たたずむ。
 最期に交わした言葉を思い起こした。
 『お蘭! 其方はわしと共に逝くことは許さぬ。生き抜き、そしてこの世を見ておくのだ。光秀がどう生きるか、とくと見ておくのだ。良いな。そして、いつの日かまみえん!』
 『殿ーーーーーっ!』
 泣き叫ぶ蘭丸の声を背に、信長は炎の中に入っていった。それから蘭丸は信長の亡骸を確認できないまま討ち死となっている。
 蘭丸にとって「本能寺の変」と呼ばれるできごとは、過去のできごととして終わってはいなかった。
 実はどこかで生き延びているのではないかと期待し、信じている。
 蘭丸は近くの首塚へと向かった。
 幕府の目付けとして生きていた江戸時代に、信長の首が洗われたという首塚があることを知り、それ以来命日には欠かさず訪れていた。現代において、好きな歴史上の人物を問われて織田信長を挙げる人は多く、そんな人たちが訪れているという話を聞いている。しかし蘭丸は、そこに”信長”を感じたことは一度もなかった。
 忘れたことのないぬくもりを、自分は勘違いしているのではないか。出会えないのではないか。『いつの日かまみえん』という信長の言葉を信じているが、焦りを感じるようにもなっていた。想いが届かない不安で押しつぶされそうな気持ちになり、これで終わりにできたらどんなに楽かと思ったことは数え切れないほどある。
 蘭丸は、首塚を見守るように立つ一本の木に寄り添った。市立病院の裏手という場所柄、また、天気が曇っているせいもあり、どこか妖しい雰囲気があった。井戸があったといわれれば「そうか」と納得する、大きな窪みがあり、芝生のような草が生え、きれいな花が咲いている。
 静寂な空気を破るように、突然、風が起こった。巻き立つような、飛ばされそうな力に両足を踏ん張り、蘭丸は腕で目をかばった。










 どれくらいそうしていたか。










 風がおさまり、蘭丸はゆっくりと目を開けた。
 「お蘭。久しぶりよの」
 目の前に現われた肉体に信長の魂があることを即座に感じとった蘭丸は、驚きのあまり身動きがとれなかった。

 ジャラジャラジャラ。

 身につけたいくつものアクセサリーの音が、男が歩くたびに響いた。
 丹精な顔立ちにシャツの重ね着、細身のジーンズにシャープなブーツ姿。
 それは以前には考えられない姿ではあったが、魂は嘘をつかない。
 男の手が蘭丸の頬に伸び、蘭丸は思わず顔を引いていた。
 また別れがくる・・・。つかむものは霞ではないかと、蘭丸は怯えた。
 そんな蘭丸の気持ちをすくうかのように、男は蘭丸を抱き寄せた。
 「なんじゃ? 再会のハグはしてはくれぬのか?」
 「ハ、ハグ・・・」
 信長の魂から非常に現代的な言葉を聞き、蘭丸の張り詰めていた気は緩んだ。
 「殿・・・」
 蘭丸は信長の背に腕をまわした。
 「お蘭。安心せい。儂はもうどこへも行かぬ」
 「申し訳ござりません」
 「ん?」
 「明智殿の所業、見届けることはできませんでした」
 「其方、それをずっと気にしておったな」
 蘭丸は驚いた。
 「・・・見透かされておりましたか」
 蘭丸は嬉しさに、また、安堵感から、笑んだ。





 ホテルの車止めにすべるように横付けされた尾張小牧ナンバーのセンチュリー。重厚な黒い車体は輝いていた。運転手が後部座席のドアを開けると、蘭丸が下り立った。続いて、信長が姿を現した。
 織田信長。現世での名前を藤原啓吾といい、音楽プロダクションの社長をしている。
 そういえば殿は芸事を好んでいらっしゃった、と因縁めいたものを感じずにはいられない蘭丸だった。
 「お蘭。参るぞ」
 「はっ」
 蘭丸は、信長の背を見つめ、足取り軽やかに、ランチミーティングの場所となるレストランへ向かった。
 「沢井!」
 現世の名を呼ばれ振り向けば、以前の雇い主だった社長が手を挙げていた。
 「しゃ、社長」
 「沢井。お前、藤原さんの会社に行ったのか・・・?」
 「は、はい」
 数々の修羅場を乗り越えてきた蘭丸だが、一瞬、慌てた。しかし、
 「社長のもとで勉強させていただいたこと、これから活かしてまいります」
 「殊勝なことを! お前には合っているかもな。まあ、この業界だし、何かあれば、またね」
 「ありがとうございます」
 業界内転職が多い音楽業界であることに救われたと思いながら、蘭丸は頭を下げ、社長を見送った。
 蘭丸にとって居心地の良い会社だった。スタッフを育てようという理念を持った社長が好きだった。その気概が言動に表われ、蘭丸が救われた気持ちになったことは何回かあった。
 「お蘭。記憶は消さなかったのか?」
 「はい。・・・殿との再会までに関わった人たちには私のことを覚えていてほしいと思ってしまったのです。たぶん、本当の意味で独りになるのが怖かったのだと思います」
 「そうか。随分寂しい思いをさせていたな」
 「でも、こうしてお目にかかることができました」
 蘭丸は笑んだ。
 色とりどりの花がホテルのロビーをにぎわしている。それは蘭丸の心の機微を表しているかのようだ。
 初夏の陽射しが射すロビーを、二人はレストランへと歩いていった。





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