残像
1581年(天正9年)2月28日、信長は京都において馬揃えを行った。
馬揃えとは、間もなく行われる合戦の前に馬を一堂に集める品評会をいう。それは主催者である信長の力を示すものでもあり、それゆえ、天皇がいる都において馬揃えを行うことで、朝廷をないがしろにしていると以前から快く思っていなかった公家たちの、より一層の反発を買うものとなった。
この頃、中国地方に木下藤吉郎、近畿地方に明智光秀、北陸地方に柴田勝家、関東地方に滝川一益、四国地方に神戸信孝、また対武田として信長の嫡男・信忠、大坂地方に佐久間信盛が、それぞれ織田軍の方面軍団長としておかれ、戦が繰り広げられており、信長の天下統一は目前のものとなっていた。
馬揃えを終えた信長はその足で安土へ戻っていた。都から近く、様々な物資が集まる、交通の要所となる安土を信長は気に入っている。
丹羽長秀を総奉行としてわずかな期間で築城された壮麗な安土城は琵琶湖畔、安土山の頂にある。天主からは、三方を囲む湖や、開放されている南側には四季折々の実りをもたらす田畑を眺めることができた。
翌日、穏やかな朝を迎え、馬揃えのきらびやかな余韻を楽しめるほどに、城中は静かだった。
蘭丸は、信長の両脚の間にあってその身をゆだねていた。
髪を下ろし、襟元ははだけている。
背中ごしに伝わってくる信長の熱を心地良く思い、近江の街を遠く眺めながら、武田勝頼のことを気にしていた。
『殿は長篠で武田に勝ったものの、勝頼は生き伸び、高天神城を拠点としている・・・。元々、高天神城は徳川殿の家臣、小笠原長忠殿の城で、武田の2万の兵で攻められ、奪われたのだ。殿は一揆勢に向かっておられたし・・・・・・徳川殿は単独では援軍を出すことはできなかった。遠江の要所となる場所・・・徳川殿は奪い返したくて仕方がないだろう。・・・殿も天下布武のためには今こそ武田をたたきたいに違いない。・・・高天神城は堅固であるだけに、兵糧攻めにして、勝頼が援軍を出せない状況を作れば・・・・・・』
「お蘭?」
ハッと目を開けた蘭丸は、思考に沈みゆき、次第にうとうととしてしまっていたことに気づいた。
「っ・・・」
あっという間に仰向けにされた蘭丸は、真上に信長の顔を見据えた。
「何を考えておる?」
ぐっと瞳をのぞきこむ信長から逃れることは難しいことを、蘭丸は知っている。
「殿のことを」
信長は唇をつりあげた。
「其方のことだ。儂に身を預けながらおよそ武田のことでも考えておったのであろう? 忌々しい、武田勝頼!」
そう言って蘭丸の頭をなでた。
「お蘭。全ては儂が背負うものじゃ」
「・・・そのようなことを仰せになる殿だから、私たちはおそばにいるのです」
信長はそっと口付けた。それは、後世まで語られる荒々しい気性からは想像できない、蘭丸だけが知っているものだった。
ついばむような口付けは、やがて蘭丸の身体に火を灯した。
3月22日、徳川家康が高天神城を落とした。
翌1582年2月、いよいよ信忠が3万の兵を率い、勝頼の弟が守る信濃・高遠城を攻め落とした。勝頼は天目山で自刃し、武田家は滅亡する。
その4ヵ月後、信長と蘭丸は本能寺に倒れる。
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