黎明








 <設定>
 450年のときを経て、昔の記憶を持ったまま、現代人に生まれ変わっている信長と蘭丸。
 蘭丸は、幼さの残る、それでいてクールな面持ちにカーリーヘアー、スラッとした長身で、取引先からも人気がある。現在の名前は、沢井光基。
 信長は、日焼けした丹精な顔立ちに、IT業界社長を思わせるスーツ姿。現在の名前は、藤原啓吾。
 一人を除いて、旧織田家家臣の生まれ変わりで社員は構成されている。
 その一人とは、総務部の女性社員で、澤田美弥という。





* * *


 蘭丸は「信長カンパニー」の社長、信長の秘書をつとめていた。
 戦略会議となる役員会までに仕上げたい書類があり、連日、過去の資料やマーケティング部に調査させた結果などを検証するといったやり取りを、総務部の澤田美弥としていた。
 取引先から戻ってきた蘭丸は、一息つくこともせずに澤田に声をかけた。
 「澤田さん。今朝頼んでおいた一覧表できてる?」
 「こちらです」
 「ありがとう・・・あーっと、これ、こういうことじゃなくて、ここをこうして、罫線ひいて、こういう形にしてほしかったんだけど」
 「あッ・・・すみません。そうでした・・・!」
 連休明けの火曜日、いつもテキパキと他人の意図を汲んで的確に仕事をする澤田に今日はミスが多く、朝も電話の指示とは違うデータが用意されていたということがあった。蘭丸はイラつきはしないが、心配になった。煙草に火をつけると、持ち帰ってきた資料をかばんから出し、パラパラと眺め見た。
 「澤田さん、この書類を昨年のと見比べてほしいんだけど」と背もたれに体重をかけ、澤田の方に首を向ければ、澤田は神妙な面持ちで、何かを考えているふうに見えた。
 「澤田さん?」
 「あ、何でしょう?」
 「大丈夫? 珍しくボーっとしている感じだけど」
 「すみません・・・」
 「いや、そんな澤田さんは珍しいから、ちょっとおもしろくはあるんだけど」
 「すみません、気合入れますねっ!」
 「無理しなくていいですよ。あっ、連休、どこかに行ってたんですか? それでお疲れとか?」
 「疲れてはいないんですよ。リフレッシュ、しましたから」
 「へぇ、どちらに?」
 「あの・・・えっと・・・」
 口ごもる澤田を怪訝に思った。
 「沢井さんにはピンとこないかもしれないけど、安土に・・・安土って、わかります?」
 わかるも何も、と蘭丸は鼻の頭をこすりながら相槌をうった。
 「何をしに行ったんですか?」
 「安土城址に行ってきたんですよ」
 蘭丸はしばらくの間、たばこの煙が消え行く様を眺めた。その無言をどう捉えたのか、澤田は安土城の説明を始めようとした。
 「安土っていうのは---」
 「あ、うん、大丈夫。歴史で勉強したからちょっとは知ってるけど、でも、なんでまた?」
 「好きなんですよ、戦国武将が」
 どちらかといえば地味で、まじめに見える澤田には文学系のイメージは持っていた。だから、歴史好きと聞けば素直に納得はできるが、どちらかといえばフランス革命という雰囲気に感じていた蘭丸は、「戦国武将」と言われ、意外に思った。
 「誰か好きな武将がいるんです?」
 「森蘭丸・・・って・・・沢井さん、知ってますか?」
 「もちろん」
 そう言ってどこか苦い顔をして笑んだ。
 「へぇ、そうなんですか」
 「でも、どうして?」
 そう聞けば、他の社員が出払っていることも手伝ってか、澤田は蘭丸が理想であるということを強く語った。
 「理想?」
 「蘭丸の、みかんの逸話があるんですよ」
 みかん??? 蘭丸は眉間にしわを寄せた。
 「どこかのお寺からいただいたみかんを、家臣に披露するというときに、信長は蘭丸に持ってこさせたんですよ」
 「あぁ。あれか」
 「え?」
 「いや、ごめん。それで?」
 「いっぱいになったかごをかかえて来た蘭丸に信長は、"蘭丸では危ない。ふらついてみかんをばらまいてしまう"って言ったんですよ。それを受けて、蘭丸はつまずいて、転んで、みかんをばらまいたんですよ!」
 得意げに話す澤田の目がいつにも増して輝いて見えたのは気のせいではないと蘭丸は感じていた。
 「わかります?! 後で小姓仲間から、"お前がみかんをかかえて転ぶとは粗相だったな"ってからかわれたんですけど、それに対して蘭丸は、"信長が転ぶと言っているのに転ばなかったら、信長がうそつきになってしまう"って言い返したんですよ。その小姓仲間は"したたかよの"って思ったんですけど、したたか、っていうよりも忠誠心とか、殿をたてているってことですよね」
 蘭丸は黙って聞いていた。
 「蘭丸はこういう類の話がたくさんあって、その場を成立させるために自分が不利な立場になっても構わないっていうか・・・それは本当に大切なものをわかっているから、自信があって、ソレと秤にかけて物事を判断できるっていうのが憧れです。そういう仕事の仕方をしたいな、って」
 明るく楽しそうに話す澤田を眺め、どこからどう突っ込んだらいいのか、蘭丸にはわからなかった。
 蘭丸に関するよくできた話はたくさんあった。ほとんどは江戸時代に創作されたものだが、みかんの逸話は本当だった。その本当の話を、自分で見てきたかのように話す同僚に、蘭丸は不思議な感情を抱いた。
 「それでつきあっている人がいたんですけど、夕べ別れたんです」
 蘭丸は、別れたということ自体もそうだが、そういったプライベートの話をすることにも驚いた。
 「ちょっと前から迷ってたんですけど、なんだかお互いに時間がなくてすれ違ってばかりだったんですよ。そういう運命なのかな、うまくいかないようにできているのかな、と思ったら、さっさと別れて前進した方がいいって、安土で蘭丸に背中を押されたみたいなんです」
 蘭丸は目を見開き、絶対に押してない、と内心で叫んだ。
 「蘭丸が心にあれば、一人じゃないと思って。」
 蘭丸は信長と再会するまでの長い年月を思った。
 澤田にとって「森蘭丸」がどこまでリアルな人なのかはわからない。なにせ400年前の人物なのだから。しかし、間違いなく、ひどく影響を及ぼしていることはわかった。

 「あの二人は、シアワセでしたよね。きっと。」
 「え?」
 「あっ、ごめんなさい、もうすぐ本能寺の変の日なんですよ。本能寺の変、ご存じですか? 明智光秀に織田信長が討たれた事件なんですけど、どうも、感傷的になっちゃうんですよね。一緒に死ねて、一緒の時を過ごせて、きっとシアワセだったよねって思うんです」



 澤田は打ち合わせがあるからとフロアを出ていった。
 蘭丸は別の気配を感じ、そちらに首をむけた。
 「殿」
 信長はまっすぐに蘭丸に近づいた。
 「お蘭、何やら興味深い話をしておったな」
 「はい。客観的に見られたというのでしょうか・・・一緒に逝けて幸せでした」
 「其方、少し格好よく生まれ変わりすぎではないか?」
 蘭丸はクスリと笑んだ。
 「大丈夫ですよ。わたくしは殿のお側にいるために生まれ変わったのですから」
 信長は蘭丸の後頭部に手をやり、その身に寄せると、そっとなでた。
 思いがけない信長の行動に、うつむいた蘭丸の頬は自然とゆるみ、白い肌はみるみる赤く染まっていった。





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