織田家雑記3








 将軍義昭の勝手な振る舞いをいさめる書状を出すため、信長は祐筆を呼んだ。

 「これから申すことを一語とたがえず、将軍家に伝えるのじゃ。
このごろの勝手な御振る舞いは天下の静謐(せいひつ)のためにお控えいただきたく申し上げます。
ひとつ、諸国へご内書を出され、馬などをご所望なさっているようですが、馬などがご所望な折はこの信長にご用をお申し付けくださいますよう。
ひとつ、幕府によく奉公し忠節をおろそかにしない方々にはそれに見合った恩賞を差し上げるべきであるのに、そのようなことがなく、新参者のそれほどでもない者に過分にお与えになっているご様子。世間の評判がよろしくありません。よくよくお考えになりますよう。
ひとつ、信長と将軍家が不仲であるとのうわさが流れ、将軍家のご宝物を他へ移しておいでのご様子。この信長がお住まいを整えましたのに、よそへお運びになるなど、これからどこにお住まいになるとおっしゃるのでしょう。誠に残念なことです。
ひとつ、光秀が税を集めて預けておいたところ、そこは延暦寺の領地であると言い立てて、差し押さえられたのはなぜでしょうか。
ひとつ、幕府の貯蔵米を持ち出し、金銀に替えられたとのこと。お倉に貯えがあってこそ、人聞きも良いかと存じます。
ひとつ、所持万端について欲深くなりませぬよう。なぜ人がそのように言うか、よくよく考えるべきかと存じます。
ひとつ・・・」

 あらかじめ書かれている文書を読み上げるかのように、十七の意見を、室内を歩きながら朗々と声に出した。





 「お屋形様、、、恐れながら、三つ目から今一度・・・」





 ( ̄□ ̄;)!!





----あとがき
大河「信長」#34『四面楚歌』&『原本現代訳 信長公記』より。

「勝手な振る舞い」というのはあくまで信長目線。義昭にとっては「エライのは儂だ」でしょうし、信長にとっては「義昭は儂のおかげで生きているもの。天下を安泰にするのは儂だ」と思っている。
「決して将軍家を憎んでいるわけではなく、だけど将軍が諸将に手紙を出したりして信長包囲網を作ったりするから、それでは世の中は安泰にならないよ、静かにしてろっ」と言っている。
これを、殿の本心と捉えていいのか、目くらましのための方便ととるか、、、。
わたし的には前者です。
殿は何をやるにしても、事前に説明をしたり、殿目線としてもこれこれこういうことでこうだから、と論理的に説明をして、それでも改善されないから攻めたり、何かを実行したりしています。筋のある人なのです。その筋のあり加減が、周りに理解されなかったのかもしれません。
 このころの祐筆って、誰だ・・・? やっぱ夕庵?
 でも夕庵だったらこんなアホなお茶目なことはしません! ってか、夕庵だけでなく、この時代の祐筆はすべからく、、、たぶん、、、。





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