落語を楽しむ日記

〜2008年−2010年〜


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2010.10.02
■柳家三三 独演会「秋」

柳家右太楼『ねこの皿』
三三『あわびのし』
仲入り
三三『笠碁』


 二つ目だった時、日本橋の落語会に行ったっきりだったので、今日をとても楽しみに、何着てこっかな〜、なんて、ここ2、3日はウキウキしてた。

 右太楼さん、しょっぱなからうまいな〜、明るいな〜と感心してしまった。
 オチがオチらしくて、ワタシにはわかりやすい(笑)。こういう話、好き。

 三三さん、話し方がだいぶ変わったというか、師匠そっくりになったというか、、、言葉と言葉の間に雑音が増えた・・・。
 地方出張の際の、乗り換えや急な運休へのご不満などのマクラ、というかフリートークでどんどん時間が過ぎてゆく。なんか、友だちのおしゃべりを聞いている感(笑)。三三さんだから、OK^-^。
 1部が終わったのは21時ころで、「これは仲入り? それとも終わり???」と本気で判断つかなかった。仲入りというアナウンスが入ってハッキリしたとゆう・・・。
 2部の話は途中けだるくなったけど、オモシロかった。
 あ〜、いいな〜、と思った。
 また行こう!


2010.07.02
■楽太郎改メ 六代目三遊亭円楽 襲名披露興行
三遊亭王楽『太田道灌』
林家たい平『金明竹』
桂歌丸『紙入れ』
仲入り
口上
翁家勝丸
三遊亭円楽『浜野矩随(はまののりゆき)』


 王楽さんは、好楽さんのご子息のようで、、、。
 たぶん、言葉尻をとりあったアホなやりとりが続くおもしろい話だと思うのですが、PAが悪いのか言葉が聞きず楽、のっけからテンション下がりました。

 たい平さんの枕は、名前が三文字のことや青森での独演会のことで、4月と同じ。枕っていつも新しいものじゃないのネ・・・とちょっとがっかり(苦笑)。
 「金名竹」はやたら早口でまくしたてる使いの人の言ってる意味わからん!な話ですが、こういう勢い感のあるの、やはりたい平さんはよどみなく進みます。
 花火打ち上げ芸、を生で見られ、聞けました。

 歌丸さんを楽しみにきた、この公演。チケットをとった3ヶ月くらい前、『7月までお元気でいらっしゃるかしら・・・』と実はちょっと心配してました、、、。
 人物によって、あんな風に声が変わるんだっ!というのが、妙に嬉しかったです。

 口上の司会は王楽さんだったのですが、落語のときより断然良かったです、声のはりが。かつぜつが。
 協会代表でたい平さんがご挨拶されましたが、「君がこれから経験することは僕が経験していることだから、何でも聞いていいんだよ」と笑点初参入の際に円楽さんから言われたようで、そういう自信はカッコいい、と思いました。うん、ワタシも、ウチの会社の総務についてなら、そう言える^^*。
 芸術協会会長、歌丸さんからのご挨拶の後、「お手を拝借〜」でした。こういうの、盛り上がります。

 前に末広亭でも見ていた気がしますが、太神楽といわれるものを見るのは初めてに近い気がします。
 太神楽という単語を知らなかったので調べてみると、協会があるのですね。協会の解説より抜き出しますが、
 古く、神社に伝わる伎楽、散楽の一部で、伊勢神宮、熱田神宮の二ヶ所が発祥の地とされているようです。(おぉ〜、歴史好きなワタシにとても近いではないですか!)
 家康の江戸開府と共に各地へ散らばり、獅子舞を連れて氏子の家をまわり、お祓いをする風習が生まれたそうで、神様に代わって悪魔祓いの獅子舞を演じたことから、代神楽(だいかぐら)とも呼ばれたそうな。
 その後、太神楽は、寄席の出現に伴い【神事芸能】から【舞台芸能】へと変化をし、獅子舞の余興として演じていた曲芸は、大衆への娯楽を提供する【寄席芸能】へと発展したそうな。
 江戸時代に始まったこの太神楽曲芸は、現在までに受け継がれている伝統芸能として、『舞』『曲芸』『話芸』『鳴り物』の四つの柱から成り立ってるそうです。
 今日は、鞘おさめ・お手玉・花籠鞠・和傘芸、でした。

 「浜野矩随」は、プロになるには死にものぐるいになる一時が必要、という話。
 生意気な言い方ですが、当たり前かもしれませんが、所作がうまいなー、と。体調不良(というかお疲れ?)っぽいのが気がかり。
 ワタクシ的には、若狭屋がのりゆきに「死んでしまえ!」とはっぱかけるところは、もっと短くていいのでは?と思いました。


 3月から全国を回っているという襲名披露公演。地方から今朝戻ってきて夜には中野でやる、という・・・とても大変な旅興行だと思います。
 そろそろお疲れ感がみえる感じで^^;

 中野ZEROホールは、上から見ていると余裕がある空間なのに、座り心地悪い椅子で、暑いし・・・居心地悪かったのが残念。


2010.04.16
■第四回 銀座・日本橋落語会

前座(立川らく太さん)
談慶『唖の釣り』
たい平『おみたて』
仲入り
談慶『抜け雀』


 立川談慶さんと林家たい平さんの二人会。
 08年7月の公演があんまりだったので、少し談慶さんから離れていましたが、たい平さんと二人というのを見てみたいな、と。

 らく太さんの、言い直しの処理が(それが普通なのかもしれませんが)切れなくて、良かったです。
 『おみたて』は、客に会いたくない花魁が手代(?)に嘘を塗り重ねさせる話。たい平さんを高座で聞いたのは2回目ですが、やはり、スゴイな〜と思います。マクラはとても身近な話題で、オチ方とかとても参考になって、「それ、使う!」とか思うのに、多分絶対に自分ではできない(笑)。よどみなく、とか、流暢に、とか、この人のためにある日本語なんだろうな、と思います。笑いっぱなしでした。
 『唖の釣り』『抜け雀』ともに談慶さんで前にも聞いたことがあるお話。
 『唖の釣り』を聞いて、以前よりカツゼツがよくなった気がしました。09年、「もっと落ち着いて丁寧に話せばいいのに」と非常に残念にがっかりしたのですが、それがだいぶ改善されていたような。
 ところが『抜け雀』で、テンションが上がりきっていたのか、落ち着きさが感じられなくなり・・・。
 たい平さん・談慶さんともにスピード感がある方だと思うのですが、でも話ぶりは対照的。

 この会の笑いで元気をいただきました。笑い、大事ですよね。


2008.07.29
■独演会(師匠・立川談志氏も)

 いろいろな意味で残念な会でした。。。
 初めてご対面できた談志さん。聞かせますね〜。グイと引っ張られる感覚が、スゴイです。


2008.04.25より後(日付記載忘れ)
■立川談慶さん---天丼を食べて落語を聞く会@浅草・大黒屋■

 前座さんの話の中で、落語のオチについて知る。
 ・じぐちオチ
 例 寄席に行くのはよーせー。
 つかまえた! 放せば(話せば)わかる。

 ・まわりオチ
 例 強いものが堂々めぐりする。
 ネコにより強い名前をつけたい。ネコより強いのは雨→雨より強いのは風といった具合に展開。→壁→ねずみ→ネコと、結局ネコに戻ってしまう。

 ・トントンオチ
 例 5日、6日、何かようか(八日)、9日、10日。


 談慶さんのお話は、熊の子が主人公の童話「森のレストラン」を落語化した「森の赤提灯」。
 この会がネタおろし! コアなイベントの面白みです。(別にコアと設定されているわけではないかもしれませんが。)

 いつまでたっても冬眠できなない熊は、寝られないことに悩んでいた。悩んで飲んでいると、月が落ちてきた。
 熊は心の中をさらし、もう死んじゃいたい、としきりに言う。月は「生を受けたんだから、生きなきゃダメ。そんな、悲観的にならないで」としきりに言うが、熊の悲しい気持ちは変わらない。
 すると月は、「じゃあ、僕が君の暗い心を奪って、君を明るく照らしてあげるから」と目を閉じて3つ数えるように言う。
 3つ数え、熊が目を開けると月の姿がない。
 けれど、心がポカポカする。そして身体に月のマークが。(キャー!!!)
 飲み屋の主人が「これがこれからのあなたの主食です」とどんぐりを提供する。
 熊はそのどんぐりをかきこむ。
 「お味は?」
 「月光(けっこう)なお味で」


 月の輪熊は、唯一、草食なのだそうです。その理由はこんな裏話があるのさ、という物語。
 飲み屋の主人がなぜどんぐりをすすめたのかがナゾ。これまで動物を食べてきたという罪悪感にさいなまれていたので、その解決? が、熊が動物を食べることに罪悪感を持つということが、食物連鎖から外れるというか、そのどうにもならないことで悩むのがどうなのだろう?と思ってしまいました。
 前座さんのお話を踏まえると、じぐちオチ?
 あくまでナカジ的な感想ですが、童話と落語を結ぶのはきっついのではないかなーと思いました。
 童話って、実は残酷なことがいっぱいで、それをオブラートにくるんだようなものになって、小さい子に伝えられている。だから大人になって、本当の童話を聞くと、驚く。
 怖い、グロイものが優しい童話になっている、というのは良いのだけれど、その逆、童話を落語にする上に、熊が主人公のまま、というのは、う〜ん、何と言うのだろう、、、ワタシ的にはミスマッチ。


2008.04.25
■立川談慶さん---天丼を食べて落語を聞く会@浅草・大黒屋■

前座『???』
『紙入れ』
仲入
『百年目』


<前座>
 松幸さんの前座。
 貧乏長屋で、大家に呼ばれ、店賃のことかとびくびくする。実は大家が大黒様を掘り当て、その内祝いだった。(平和〜)
 恵比寿様も連れてこようじゃないか、というオチ(?)。

 カツゼツ悪く、人物のメリハリなく、今誰なの?みたいな・・・。

<紙入れ>
 男と女の、不倫の話。
 セールスマン(手代)が取引先のオカミサンから、「だんながいないから、来て」とお誘いの手紙をもらう。
 一度は関係を持ってしまったものの、だんなへの恩義があり、「もう勘弁して」と断るのだけれど、「毒を食らわば皿までよ。乗っかかった船なんだから」と強要(笑)される。
 その晩のお取り込み中、だんながふいに帰ってきた。
 いっそいでセールスマンは身支度整え、その家を出た。
 良くしてもらっていただんなを裏切った形になることを、いまさらながら苦悩するセールスマン。
 そして、オカミサンからの手紙が入った紙入れを床の間に忘れたことに気づき、さらに苦悩し、ついに、その家のだんなに会いに行く。
 「実は、あるオカミサンといい仲になってしまって」→「隅に置けないねぇ」、
 「だんなは気づいていなくて」→「そりゃ、だんながとぼけてんだ。そんな男と一緒の女が気の毒だ」と話すこと全て、だんなは自分を下げることになる。
 「それでだんなが帰ってきて、慌てて出たんだけど、紙入れを忘れたみたいで」。
 すかさず、オカミサンが他人事のように言い放つ。
 「そのオカミサンだって、すぐにだんなを入れたりはしませんよ。一応、忘れ物がないかしら〜と全体をささっと見て、用心しますって。だから、大丈夫よ。安心おし(ハート)」と。
 あ〜、セールスマンの別の苦悩は続いていくのねぇ〜、と。

 だんなとセールスマンのやりとりが絶妙。間がウマイし。
 どんなオチなんだろう〜と途中から考えて始めてしまったのだけれど、なるほど〜、でした。

<百年目>
 談慶さんで二回目の「百年目」。(あらすじは2007年のページにあります。)
 前の方がたぶん丁寧だった感じがあり、面白かったかな〜と思う。でも、導入が素晴らしかった!
 中間管理職の大変さをあらわしたお話なのだけれど、仕事でへたっている時にこの話を聞くと、がんばろ、と思う。
 前回も仕事でへたっていたタイミングだったので、なんだか不思議なめぐり合わせ。